続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「ビバリーヒルズ・コップ」

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1984アメリカ作品/原題:Beverly Hills Cop/マーティン・ブレスト監督/105分

 

なんか笑えるの見たいー、と子どもたちが騒ぐので、Netflixで見つけた懐かしい一本を視聴。うわー34年前の作品。

 

冒頭の、いかにも気楽なアメリカの日常といった、デトロイトの街の黒人コミュニティーの牧歌的な風景に、思わずううーーんと唸る。

現在のデトロイトはまさにラストベルトの代表的都市であり、アメリカでもっとも治安の悪い、廃墟化した街のひとつだからだ。

 

失われた在りし日の姿。ある意味、貴重な映像になってしまっている。ものごとの姿って、あっという間に変わってしまうものなのだな。

 

エディ・マーフィも然り。80年代の人気絶頂の頃。私も大好きだったなあー。

昔の作品だけど、子どもたちはギャハギャハ笑いながら喜んでみていた。

私も懐かしいな、と思いながら楽しんで観たのだけど、やはり時代は随分変わったのだな、と感慨深かった。

 

面白かったのは、銃撃戦がほとんどコントだったこと。ポリスがバッと構えて、パーン!と打って、ギャングの手下の肩にバスって当たって、派手にのけぞって倒れる、という一連の動きが、今ではギャグにしか見えない(笑)

 

そしてお話の筋が驚く程単純だ!

でも、いや、これで全然良くないか?と思ったのだった。

もちろん知的に入り組んだ複雑な物語の面白さもあるから、そういう作品も楽しんで見るけれど、今って結構全部が複雑化している気がする。

 

私も普段、映画見ながらいちいち子供に訊かれても、上手く説明できないことなんてしょっちゅうだもの。見ながら何とか把握してついていくような作品もたくさんある。

 

全てがそんなに難しくなくていいでしょうー、と改めて思った。いろいろあっていいでしょう。でも、今の世の中ではそんなシンプルさには誰もリアリティーが感じられないのかもしれない。

 

もう一つは、あの懐かしいアメリカ映画のノリ、絶体絶命のピンチにクスッと笑うようなギャグを飛ばすあれは、やっぱりアメリカのヒーロー像にとってなくしちゃいけない大事なスタイルだったんじゃないのかな、としんみりと思った。

ああいう肩の力が抜けた、ぎりぎりまでふざけてるからこそ格好いいっていう感覚、今のアメリカ映画ではとんと見られなくなった。さびしいことだ。

 

何より、エディ・マーフィ演じるアレックス・フォーリーの、まじめや陰謀の脇をふざけてすり抜けて、結果を取りにいっちゃうあの姿勢は、今だからこそ新鮮だ。

コンプライアンスの世の中では、こういうヒーローは生まれにくいから。

 

悪をまともに真に受けて、さらなるまじめや努力で返すのって、効率が悪いし何より面白くないよね、と思う。

アレックスのトンチと柔軟性、相手を笑わせるような反則技は、憎しみや正義心にがちがちに固まっていては生まれない。

相手を面白がる優しさと、しかも勇気がないとできない。だから格好いいんだと思う。

 

今年一年、「まじめってタチが悪いし、周囲に害も多いよな」と思うことが多かった。

来年もますます、ちゃらんぽらん上等!である。