続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

今後の基本姿勢

もうちょっと身辺の仕事のばたばたが落ち着いたら、同時進行的に「役員ワールド」についてルポを書き始めようと思っている。

誰に頼まれた訳でもない、完全に自分が書きたいから書くだけのことで、別に誰も宣言なんぞ求めてはいないのだけど。

 

先日「役員なんぞや」という、暑苦しくなっがーい文章を書いたが、あの顛末で自分自身の「底がつき」、もう何に限らず、言いたい事や疑問に思う事はみんな口に出していこうというモードに入った。

 

おおむね全てにおいて、である。

 

そうすると、違う地平が見えて来た。

嫌われたって知るかーい、という開き直った素朴な質問をぱーんとしちゃうと、世の中、攻撃された!と思って牙を剥いてくる人ばかりと思い込んでいた。

しかし、意外に「いいね!」という反応が多いことを知って嬉しい想定外の気持ちを味わっているこのところである。

 

皆、暑苦しくならんように相手に迷惑かけんように、とじりじりと間合いをおそるおそる取っているのだが、多くの人は今、心を開いて手応えのある会話ができることを、心の底では求めているのだと感じる。

親しくなるとかならないとかそういうこと以前に、世の中のコミュニケーションにおけるデタッチはもはや行き過ぎていて、人は深くてコンビニエンスで清潔な孤独の中で満たされなさを抱えながら生きている。無力感とさびしさを抱えながら。

 

 

しかし、言いたい事をただごりごりといい散らかしているのでは、当然ぶつかったりもめたり無用に傷つけたりするのであって、

今私が言いたいことを言って思っていることを正直に言って、それでも大してもめもしないどころか、むしろ楽しい状況にあれるのは、自分がそれだけ年を取って練れた部分があるゆえだとも思う。

そう思うと、年をとる事も悪くないなと思える。

 

年相応に白か黒!といきりたたずに、「グレー」を、もやもやを受け止める心構えを前提とできるようになったこと。

これはだんなさんに教えられたところが多いが、誰によらず、親しかろうがそうでなかろうが、基本姿勢を愛と尊敬と礼儀ただしさに置くこと。

そして文章をたくさん書く経験を通じて、自分の微妙な思いをそこそこ誤解ない正確な形で、できれば相手の心を上向きに動かす形で書き伝える術をいつの間にか身に付けていたこと。

 

そのようにコミュニケーションすれば、頭ごなしに怒り出す人なんて、そうそういないんだ!ということを、今になってびっくりしつつ、実感している。

 

原点は子どもの頃、素朴な疑問を発すると「黙っとけ」か「何を生意気なことを」と怒る両親や教師をはじめとした大人たちにあったのだなあ・・・・と今更ながら納得している。

「素朴な疑問は、相手を怒らせるものだし、答えももらえないものだ」

そう心のどこかで固着してしまっていた。

 

だから、これまで試す気すらさらさらなかったのだ。

友だちや、近しい人、この人はと見込んだ一部の人以外の関係においては、自分で勝手に見限って、言いたいことや思っていることを言うことをはなから諦めて放棄していた、私は傲慢でニヒリストだったと思う。そして臆病だった。

そのことが大変もったいない、半分目を閉じて生きていたに近いものだったのだなあと感じる。

 

自分の心構えが変わると、オセロの黒がぱたぱたと白に裏返っていくように、物事が気持ちの良いように動き出したことにびっくりしている。

 

その中で、冷たい反応をされたり、引かれたりってことはもちろん少しは起こってくるのだけど、自分でも意外なほど「どうでもええわー♪」と明るく思えるのだ。

めっちゃ傷つく事を怖がって生きてきたというのに。

 

そこで離れる人はそれだけの人だったんだな、リトマス試験紙みたいに分かって逆にありがたいな、と素直に思えるし、

自分がどーんと「私はこれでいい」って言動をしている、その基準は一貫していて、それに対する反応に対峙することは、まるで実験のような驚きと発見に満ちている。

 

だから、人が怖くなく、以前よりも少しだけ楽しくなりつつある。心に余裕ができつつある。

 

面白いのは、誰にもそんなことを宣言もせず、黙ってそこら辺を歩いていたり、買い物をしたりしているだけでも、話しかけられることが増えたことである。

道を聞かれたり、スーパーで隣りでピーマン選んでるおばさんに出し抜けになんか言われたりすることも増えた。

 

今日も、いつも行く魚屋のおじさんが、妙に「語りモード」で話しかけてきて、近所の土地開発の問題やら何やら、しまいには「ボヘミアン・ラプソディー」を見て、どんだけクイーンの音楽が素晴らしいかということを、次のお客さんが来るまで延々と話込んでしまった。そんなことこれまでなかったのに。

 

なんだろう、まだ頼りなくひよひよとしているのだけど、この感じ、手放したくない。これからの基本姿勢として、しっかりと定着させていきたい。

 

昨日、だんなさんと話していて、「長尾さんがなおみに言っていたのってこういうことだったんじゃない?」と言われた。

それは、もう奈良に移住してしまった、私のもっともファンキーで型破りだったママさん友だちが私によく言っていたこと。

 

「なんやろなあ、なおみちゃん、がけ飛び降りろ!来い来い!って思うねんな」

 

そう言われるたびに、意味も分からず、一体これ以上何をどうすれば〜、と戸惑い、苦笑するばかりだったのだけど、

多分、長尾さんは、思っていることや言いたいことを出し惜しみし、他人と向き合うことをあらかじめあきらめて、勝手に他人に失望し、勝手に傷ついていた私を、

「なんや気持ち悪いなあ!ちゃうちゃう、それみんな思い込みやって!」

と、彼女なりの感覚で言っていたのだと思う。

 

彼女は口のたつ人ではなかったけれど、たとえそれをいくら上手に説明してもらっても、今までの私にはけして意味が通じなかっただろう。

 

人に期待はしない。

みいんな考えていることや価値観は違う。

でも始まる前からあきらめない。

もう一回生まれ変わっても、同じ言動をするであろう、ということを正直にやっていく。

 

結果が得られなくても、正直でひとに優しくあろうとするだけで、納得するし、恨みや憎しみは生まれないから軽やかだし、自分が少し強くなれたことに驚くし、

たまらなく嬉しい。

 

上がったり下がったり、後悔したり、恥をかいたりすることは今後も絶え間なくあれど、

今後、この方向で私はやっていきたい。