続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「フロリダ・プロジェクト」

f:id:beautifulcrown7:20181120094908p:plain

2017年アメリカ作品/原題:The Florida project/ショーン・ベイカー監督/112分

 

ひとことで言うなれば、アメリカ版「誰も知らない(是枝裕和監督)」。

現代の貧困の姿を身につまされるリアルさをもって描き、不器用で要領が悪く、社会システムからこぼれ落ちた「弱者たち」に愛情深いまなざしを向けた作品。

 

荒削りな映像表現ながら、それがかえって世界の実像をありのままに小さく切り取った味わいを生む効果にもつながっていて、そういうところも「誰も知らない」とよく似ている。

 

ショーン・ベイカーという若い監督の才気があふれていてとても好ましい。見るからに低予算の作品だけど、雑にならず丁寧にリアルな空気をあぶりだすように世界を描き、安易に盛り上げたりギミックを駆使したりせず、生身の人間の魅力を繊細に引き出すことで、見る者を釘付けにしていく。

 

もう本当に「誰も知らない」が終始ちらつくくらいに強い影響を感じさせる作品で、劇中音楽を極力排して生活音を聞かせ、ドキュメンタリーのように見せていくところもそつくりだった。

最後のクライマックスだけ、ものすごく心を動かす音楽を配するところも同じ。

それでエンドロールをあえて無音にするあたりは、余計にキザっちゃキザだなーと思った。

 

子どもの演出も是枝方式(と勝手に名付ける)だと思われる。

ひとにぎりの天才子役は別なのかもしれないが、是枝方式は子どもにとっては多分ベストな演出なんじゃないだろうか。

本当に子どもがかわいいので。子どもはエネルギーの固まりで、大人とは違う心臓のビートを刻んでいて、細かな動きや表情や言葉遣いなど全部大人とは違う様式を持っているので、それをひとつも殺さないようにするのが一番いいんだと思う。

だから子どもを映画の型にはめるのではなく、子どもに映画が寄せていけばいいのだ。大人が思う「子どもらしさ」なんてしゃらくさいばかりだ。

 

この作品では、明らかに、ムーニー、スクーティ、ジャンシーをはじめとした子どもたちの可愛さが作品を大きく引っ張っていた。ドリーミーで陽気でアメリカンなフロリダのムードと、それと対照的なすさんだ地域社会と大人たち。

そんな中で照りつける太陽の下、命がいきいきと跳ね回っているような子どもたちのまぶしいような存在感。

 

ヘイリーの堂に入った不良っぷりも(これまた「誰も知らない」のYOUとノリがそつくりなのですが)いい感じで、自身が抱えるなんらかの精神・発達・脳障害に対する自覚もないままに、社会システムと対立して支援を得られず孤立し、どんどん落ちぶれ、追いつめられていくお手本のような女性だった。明らかな「脳コワ」さんだ。

こういう人を、みなが「自業自得」と言うのが今の世の中だ。

 

映画は、このようなあやうい綱渡りみたいな暮らしがどのように成り立っているのか、そこではどんな時間が流れているのかを見せていく。

その自由さと寄る辺のなさ。そのフランクさと無慈悲さ。

フロリダの日差しが明るく強いゆえに影も目がくらむほど濃いように、全てのことがお気楽なのと同じだけ出口の見えない深刻さを持つ。

 

映画は、結局人間社会がいかに人間の心持ち次第なのかを浮き彫りにする。

大層なことを考えずともせずとも、「普通に友だちでいてあげる」ことや「人のうちの子どもも可愛く思い、大人は当然子どもを守るべき存在と心得えている」ことがいかに人間にとって大きなセーフティーネットになりうるのか。彼らのたわいもない暮らしのやりとりからそうした形にならないことの切実なまでの重要性を感じさせる。

 

システムがどんなにひどかろうと暮らしが貧しかろうと、「人情」が機能している限り人はなかなか絶望しない、ある意味しぶとい生き物なのだ。

 

しかし、「心持ち」とはすなわち当人の気持ちひとつであるがゆえに、いさかいや誤解といった心情的なトラブルで簡単に壊れてしまうものでもある。

それは権利でも義務でもなく、全てその人の人間性に委ねられているものだからだ。

 

それでも昔は、宗教に基づいた倫理観というものが今より強く、ある程度人間を縛ってきたのだろうが、今ではすっかり倫理観なんて見向きもされなくなってしまったから、ほんとうに気持ち一つだ。あまりに頼りないのだ。

さらに今は、建前は「人権に配慮」的な顔をして、実のところ単なる弱肉強食に退行しているようなありさまなので始末が悪い。

 

だから、ヘイリーがささいな事件をきっかけにある日突然友情をなくし、その小さなことを境に転がるように追いつめられていくという描き方は実に的を得ているし、それだけ監督(脚本も編集も)が世界を正確に見抜いているということなんだと思う。

 

この映画のクライマックスは素晴らしかった。少しも泣かそうとしていない平坦な表現なのに胸がかきむしられるような痛みを感じた。

こういう、ああ、とっても映画だなあ、と思う表現に出合うのが映画を観る醍醐味と思う。

 

小さな女の子が二人手を取り合って、ただただ駆け抜けてゆく。

貧しい自分の暮らすモーテルを飛び出して「おとぎの国」ディズニーランドに入ってゆく。

あちこちで記念写真を撮る、楽しげな人々で場内はごった返している。パレード。楽しげでファンシーな夢の国の建物。奥にはシンデレラ城がそびえる。

 

誰も小さな女の子のことなんて目を向けないし、気づきもしない。

シンデレラ城に向かう二人の女の子の小さな背中。そのあまりの無謀さと無意味さ。

 

突然がーんと頭をはたかれたみたいにして思う。

ああ、わたしたちは何にも見えていないんだし、何にも知らず、分からずして分かったような気になっているんだ。

 

あまりに凡庸な幸福の風景を切り裂くみたいに走り抜ける、小さな女の子の異様な切迫感は、悲しく、どこまでもたくましいのだった。