続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「判決、ふたつの希望」

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2017年レバノン・フランス合作/原題 L'insulte/ジアド・ドゥエイリ監督/113分/日本公開2018年8月31日〜

 

下高井戸シネマにて鑑賞。滑り込みセーフ。(「2001年宇宙の旅IMAX版」は見られずじまい〜泣)

 

 

どっかの邦画に「4回泣けます」なんてコピーがついていたけれど、この作品はそういうんじゃなく、ふとした瞬間に絞り出すみたいな涙が出る作品。

どこが泣きどころとか、そういうんじゃないのだ。もうやるせなくて、ただただ悲しい。どうして人間は仲良く生きられないかと思って。

 

どうして仲良く生きられないか。

 

タランティーノの撮影助手だったという本作の監督、ジアド・ドゥエイリはずっとその思いを抱えながらこの作品を作ったのだろうな、と思う。

 

だって、最後に至る頃には、もうどちらが勝とうが負けようが、どうでもいいという気持ちにしんそこなるからだ。

 

発端は、個人の間の些細ないさかい。

しかし、その些細な事件の中に垣間見える「理解不能な理不尽」が、見る者に不吉な予感を感じさせる。

それは恐ろしいパンドラの箱であり、同時に癒しを求める痛みである。

 

「裁判」という装置が、そのパンドラの箱を開け放ち、中から何が出て来たか。

 

 

これはレバノン映画だけれど、ここで起こっていることは間違いなく世界中で起こっていることだと、観る人誰もが確信を持って見ると思う。

 

行き場を失った悲しみが憎しみに転じること。

正しい怒るべき対象に怒ることができないので、誤った対象を攻撃すること。

当人同士の問題が、いつの間にかその人の人種や属性、立場の代理戦争の様相を呈すること。

ある一面の「正論」を声高に言い立て、想像力もなく、ただ自らの立場をごり押しすることでディベートに勝つことを良しとする、それがあたかも知性かのように錯覚されている言論の空間。

 

そして、これらをすべて承知済みで、このようなことに翻弄される人間の心理を利用して、「敵」を勝手に設定し、自らを被害者の立場に置き、危機と不安を煽ることで、勝手に設定した敵への憎しみを大いにかきたてようとする醜い心映えの政治家。

 

憎いという気持ちにどんどん薪がくべられて、どんどん大火事になっていって、みんな興奮して目の色を変えて、当人同士にはもう止めるべくもない。

あらゆる「分断」がいかに生まれ、こじれ、固着して解決不能な完成形に至るのかという構造がつまびらかにされている。

 

そんな生々しい、痛みを伴ったぶつかり合いの中においてのそれぞれの人のふるまいを、私たちは観客という立場で冷静に見つめ続ける。

 

裁判で戦うふたりの弁護士の対極なありようは象徴的だ。

個人を人種や歴史的過去といったものにすり替え、自分のねじれた恨みをはらそうとする老弁護士。どんなに卑怯であろうが、人を傷つけようが、何を利用しようが、勝てば正義と思う考え方。エゴと金とパワーに驕っている。

 

他方、どんなに話が大きくなろうと、個人から決して離れず、当事者の思いを考え続けることをやめなかった若き弁護士。被告側弁護士でありながら、原告の思いを感じて涙を流すシーンが印象深い。不当な誤解のもとにある人を守りたいという気持ち。

 

しかし、その老弁護士の憎しみもまた、悲しみに端を発する。当事者同士のみならず、関わる全ての人においてももれなく、

全ての憎しみは、癒されない悲しみから起こっている、その人間世界の構造をひしひしと感じさせるのが、この作品のすごさだと思う。

 

だから、「どのシーンが泣きどころとかじゃなく、全てがただただ悲しい」のだ。

 

同時に、ほんの小さな優しさの交換だけで、ぎりぎりと凝り固まった憎しみにひびが入ってしまう人間世界の奇跡のような温かさを見せてくれる。

知らぬうちに、音も立てず溶けて気化するみたいにして、憎しみはしぼんでいく。

 

人間は相手に対してそんなにすごいことをする必要など全然必要なくって、相手にとって嬉しいちいさなことをただしてあげるだけ。

その小さな優しさの偉大さ。ほんの少しの想像力さえあれば。

 

それがこの映画の示す「希望」だ。

 

とかく世界とか国とか社会とか、大きなことが解決しなければ何にもならないって思ってしまいがちなのだけど。

 

今の世界のありように、心から胸を痛め、けれどむつかしく考えない。何かに逃げ込もうとしないし、何かでうさを晴らそうともしない。ぐずぐず、じっくり、悩みながらやっていくプロセス自体を大切にする。

 

そういうドゥエイリ監督のまなざしに、とても教えられることの多い作品だった。人と関わることから逃げさえしなければ。

 

 

問題は、人間の上にシステムが君臨していることだ。