続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

パーソンセンタードって

 ちょこっとこのブログを書いたら、今日も書き起こしの続きだ。私は要領が悪いので、書き起こししてるといちんちがあっという間で虚しいー。むうー、がんばろ。

 

 

朝ご飯を食べている時に、今医療系の仕事に関わっているだんなさんが、「パーソンセンタードケアってさあ〜」と言う。

 

パーソンセンタードケアとは、イギリス発祥の考え方で、最近日本でもよく聞かれるようになった医療用語。

医療や介護の分野においてイニシアティブを握るのは、医療関係者でも家族でもなくあくまで本人なのだ、本人の意思が全てに優先される、ということ。

「あなたらしく生きるために」とか「あなたが本当に求めることに寄り添う」といった文脈で語られるのだけど、だんなさんはそれにもやもやしているみたい。

 

だってさ、

と、だんなさんは言う。

 

パーソンセンタードケアが大事だ!って語っている仕事仲間たちも、自分の身の回りの人々を見渡しても、普段の日常で「その人の意思や主体性や人生を尊重する」ってことを全然大事にしていないように見える、と。

 

パーソンセンタード、それ自体はもちろん良い考え方だと思うけれど、人生すべてにわたってそうじゃなきゃ意味ないのであって、それなのに人生の最後段階になってやおら「あなたの思いに寄り添います」とか「本当の気持ちを聞かせてください」なんて急に言い出すという違和感というか。

 

個人主義の厳しい自己責任の社会であるイギリスにおける「パーソンセンタード」と、日本のそれとは言葉は同じでも指し示すものは同じではなかろうし、特に今の日本の高齢者たちは、高度経済成長の時代を富の獲得や出世を燃料にがむしゃらに働いて駆け抜けるようにして生きてきた人たちであるからなあ。

 

 

ちょうどつい最近私が取材したのが、独自の保育理論を展開する田舎の某小規模保育園で、そこがやっぱり「チャイルドセンタード」を掲げていたんである。

 

教育学の分野で「アクティブ・ラーニング」とか「プロジェクト・アプローチ」みたいなやっぱし横文字が名付けられて、ちょっとしたトレンドになっている。決められたタスクを教育者が押し付けるのではなく、子供自身の心から湧き上がった好奇心から教育をつくっていく、発展させていくという考え方。本人ありきということで、パーソンセンタードケアとほぼ同じ考え方であると思う。

 

子供を「塞ごう」とするから暴れる。この園では、基本姿勢として塞がず、大人は子供がやりたいことをするための環境を整えるための後方支援部隊である。ルール決めも子供自身にさせるので、子供は率先してゲーム感覚でそれらを守る。なので、この園の子たちは基本とても落ち着いているのだそう。

子供も大人もストレス少なくらくちんという良循環が出来ているので、全体に機嫌がいいのだ。

 

さらに、幼児は乾いたスポンジみたいで保育者がいろいろ試せば打って響くように応えてくれる、目に見える成果と成長が日々感じられるということで、先生達の生き生きぶりに圧倒されるほどの保育園であった。

 

で、

そういう考え方の幼稚園や保育園は一斉保育の園に比べて少数派ではあろうが、そこそこ全国的にあると思うのだけど、この流れも小学校になると、

プツン

と、見事に切れてしまうのだ。

 

理事長先生が

「高飛車な言い方かも知れないけど、小学校にはうちの子たちを潰さないでほしいという思いがある」とこぼしていて、

じゃあ小学校・中学校教育に関わりたい気持ちはないのかと訊くと、

国の制度がガチガチすぎて、現状ではひとつも手が出せない、と言っていた。

 

ようするに、今の日本の大多数の人においては6才までの幼児と、後期高齢者に限定して、「あなたらしく生きる」ことを奨励されるという妙なことになっている。なんじゃそら(笑)

 

それはつまり、社会に貢献する前/した後の層においては「あなたらしく」生きれば良いが、それ以外の人々は自分の幸せをひとまず棚上げして、何かしらに貢献して生きるべきだという思想を反映しているように思える。

 

そのように考えてみると、我々は皆、随分病んでいるというか、思い込みがあるというのに気づかされる。

 

でも、人生がそんなことである訳はない。

じいさんばあさんじゃなくたって、日々誰もが考えて、それをベースにやっていくのが本来なのだ。

 

「私にとっての幸せってなんだろう」ということを。