続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「おとぎ話を忘れたくて」

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2018年アメリカ作品/原題Nappily ever after/ハイファ・アル=マンスール監督/日本公開2018年9月21日(Netflix公開)

 

こういうさりげない小バジェットの作品をハリウッドが作れなくなっていることの受け皿にNetflixがなっている。ということをNetflixもよーく自覚しているのだろうな、という昨今のかんじではある。

マーケティング的になるほど、また別の弊害が起こりそうな予感はあるが、劇場公開の作品に見劣りしないクオリティーで作ってくるし、ドラマ好きな自分にとっては何にせよありがたい。

 

アメリカ黒人女性の抱える容姿に対するコンプレックスのすさまじさと、そこからいかに自由になるかまでの紆余曲折をお年頃である主人公ヴァイオレットを通して描く。

 

アメリカのヘアケア製品の80%は黒人女性によって消費されているのだそう。

一部の黒人女性にとって、直毛に対する憧れ、自前のカーリーヘアへの恥の感覚は徹底しており、多大な労力と費用をかけて、あたかも生まれつきサラサラヘアーであることを装い続ける人生を送っている人が少なからずいるということ、その維持の大変さをこの映画を見て初めて知って、驚いた。

 

私にとっては、ワイルドでゴージャスなアフロヘアーってむしろ憧れの対象だったから。古いがレニー・クラヴィッツのバンドでドラマーをしていた、シンディー・ブラックマンのイメージ。

 

一度水に濡れてしまったら最後、ちりちりになってしまう髪を常に隠して生きるというのは、自分の身体の一部を憎んでいるということだし、「けして濡らしてはならない」というものすごい爆弾=弱みを抱えているということで、大きなストレスを自ら背負い込んでいることに他ならない。

日々髪を作り上げるまでのディテールを何度も見せられる中で、これはたいそうしんどい生き方だわーと、見ていてため息が出る思い。

 

 

お話自体は、「ありのーままのー」私が結局一番魅力的なの、というとっても分かりやすいハッピーエンディングなストーリー。

主人公に多大なトラウマを背負わせた見た目が全ての毒親母ちゃんが、最後に地毛を晒すことで別れた夫とあっさり復縁するくだりなどは、あんまりの強引な大円団に鼻白んでしまったのだけど、

ヴァイオレットが、アイデンティティーをぶち壊されて、やけになってバリカンで頭を丸坊主にするシーンの痛ましいやら爽快やらのやけっぱち感は真に迫っていて良かった。

 

お勉強的でなくこういうカジュアルな感覚で、自分の知らない世界のひとつの差別のかたちを、背景を含めた構造ごとまるっと知る事ができるのも映画の持つ力のひとつだなと思う。