続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

どこもかしこも難しい?

個人的に気がかりに思っていることを書く。高校受験と塾に関することです。

 

上の息子が今年高校受験なので、友人知人に会うと受験がらみの話をすることも多い。

しばらく前から「おや?」と思っていることがあって。

 

 

神奈川県は、全国で一番塾通いをする子供の多い県である。なんと88%もの中学生が塾通いをしている。公立高校受験においては、シビアなヒエラルキー構造に依っており、「受験が過酷」といわれている。

様々な受験理由のひとつとして、高校受験に汲々とさせないために、子供に中高一貫の私立校を受験させる人もいる、そんな土地柄である。

 

私はこの地に越して来て結構びっくりしたのだけど、ここの「地の人」には、大学よりはむしろ高校を重要視する感覚の人がわりににいる。

当の本人のコンプレックスも優越感も、結構「高校の名前」に根ざしているのを感じることもある。

 

移住者も多いし、皆が皆そうなわけでは全然ないけれど、それほどに公立高校がヒエラルキー的なんだということのあらわれであるとは言えると思う。

 

 ちなみに自分の故郷では、統一試験で一定の成績の基準をクリアーすれば県立高校のどこかに振り分けられる「総合選抜」というシステムであったので、そういう感覚は薄かった。

 

 

話戻るが、周囲の人々で塾通いさせている人で、いざ受験校を決める段になると以前は全然考えてもいなかった、塾通いする前よりむしろ「ランクを下げた」学校を選択することにした、という話を、このところたびたび聞くのである。

 

そりゃその子の成績を逐一知っている訳ではないけれど、随分低く見積もっているという違和感を感じるというか。

もちろん人それぞれの選択なので、意外に感じながらも「そうなんだね」と聞いていると、お母さん達の語り口に共通のものがあるのに気付く。

 

決まって聞かれるのは、

「◯◯高校も今(内申点が)オール4必要なのよー」「◯◯は昔より随分レベルが上がっているらしいの」といった言葉。

 

ではでは、結局ほぼ高校浪人がいないのに、うちの子を含めた多くの平凡な成績の中学生たちは一体どこへ行ってしまうんだろう?と素人感覚では素朴に不思議になるほどに、

「どこもかしこも難しくなっているのよー」と皆さん言う。

「それで、結局安全をとって◯◯高校にしたんだ」という話もいくつか聞いた。

 

そして「我が子は笛吹けど踊らずで、結局勉強が好きじゃないんだよねえ、こればっかりはどうしようもない」というニュアンスの言葉が続くのだ。

 

成績を上げるためにせっかくたっかいお金をかけて長期間塾に通わせているのに、成績が上がって希望を叶えるどころか、結果的に当初の希望より下ランクの学校で手を打つことにした、という一定の謎の流れ・・・。

これじゃあ塾に行かせるかいがないのでは?と塾に関しては完全傍観者の自分としては素朴に疑問に思った次第です。

 

それでうーむ、と考えた末に、はたと思い当たったのは、

「そうか!むしろ塾に行っているからか!」

という、こと。

 

ここいらの中学生の親たちにとっては常識だけれど、今、学校の先生は受け持ちの生徒の志望校の適否については自分の意見や見解を語らず、曖昧にぼやかして言うことが主流になっている。

 

なので高い月謝と引き換えに責任を持って子供の具体的な進路指導をしているのは、もっぱら塾の先生たちである。

いよいよ受験が近づいたら、「そろそろ塾に行って下さいね」と担任の先生に言われた知人もいたほどに、その役割分担はある意味明確になっている。

 

 

そういう状況の中で、塾の先生がどういう理路でものを考えるだろう?ということを考えてみたら見えてくるものがある。

 

子供が数年周期で入れ替わっていく塾は、今後も定期的に生徒を獲得し続けなくてはならないから評判を下げられない。

「先生が多分大丈夫だろうと言ったのに、落ちてしまったではないですか。どうしてくれるんですか」とか言われるリスクも負いたくない。

合格率を100%にするためには、はなから「確実に落ちない高校」を生徒に選択してもらう必要がある。それを自ら納得して決断してもらう必要がある。

 

親子に納得させる方便として、「この高校もこの高校も随分レベルがあがっている、ゆえにお宅のお子さんにはここら辺が適当」という下方修正をしたインフォメーションを刷り込んで行くことは、塾にとって「理にかなっている」ということになるわけだ。

 

同時にこれはあくまで推測だけれど、「(私達は十分やることをやっているが)本人のやる気がないのはどうしようもない」というニュアンスで、責任を軽減する布石を打つことも、あるいは行われているかもしれない。

 

塾はもうひとつの学校みたいにただ長時間授業をして、ただ宿題を出して、自習室を提供して、それで成果が上がらなければ「自分の子供が怠け者で努力が足りない。これは自業自得なんだ、期待しすぎなんだ」という風に考える親たちが一定数いることからもそう思う。

 

学校以上に子供に勉強を楽しくさせて、何としても興味を持たせて、結果成績を上げるのもたっかい月謝には含まれていて当然だと私は思うんだけれど。

 だってもう本当に目が飛び出る程高いんだもの、塾代。コスパ合わねえ。

 

自分においても、息子を塾に早めに通わせてなかったばっかりに、という「出遅れ感」は申し訳ないがほぼない。

むしろうちの子の場合は、塾へ行かせなかったことで勉強が嫌いにならないで済んで良かったかなあ、と思っている。

 

 

さらにこれ、子供全員という訳ではないのがミソである。

いわゆる優秀なトップ校を狙って行く一部の子供に関しては、がんがん競争させてハッパをかけて、どんどん上を目指させる。ここをクリアーすればここも圏内だよ、といってお尻を叩く。成績優秀な子だけでクラス構成し、さらに座席も成績順に座らせる。

 

一部の優秀は生徒には、塾の看板にできるような「☆☆高校◯名合格!」に貢献してもらうために、難関校のオープン入試など含めてできるだけ多くの学校を受験してもらう。対してブランド力のある学校を目指せない生徒には、じゅうぶんな安全策を講じて合格率に貢献していただくと。

 

あえてラディカルに書いてしまったけれど、どうしても、あちこちの高校のレベルが上がっているという話に違和感を感じるんである。で、この言説の元は、学校が明確な進路指導をしていない以上、塾の先生にあると考えるのが自然である。

あるいは私の考え方がひねくれて偏狭にすぎるのかなあ?

 

選択と集中と適切なリスク回避。

学習塾業界にも、資本主義の原則がばっちり生きているのじゃなあ〜。

 

 

私にとっては、そもそも偏差値教育からして非常に奇妙で、そういうものにはあんまり巻き込まれぬよう、のらりくらり無駄なお金をかけずにやってこー。と思っているのみで、言ってみれば人ごとになってしまうのだけど。

でも、塾よ、あんまり子供たちの人生食い物にすんなよなあ(怒)、と思ってしまう。

 

とにもかくにも、今の学校教育は、つくづくゲームっぽい。

みな、鼻先に人参ぶら下げられたみたいについ躍起になってしまうのだけれど、いつだって思うのは、「その先に何があるんですか」ということ。

 

うちにしたってごく普通に暮らしていて、このゲームに関わらざるを得ない部分はまあ、あるんだけれど、真に受けないというか、そこにあんまり価値を置かないという姿勢で今後もいこうと思う。真面目に考えた末の、「ふまじめ」という姿勢。