続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

フィットできなきゃいけないか?

学校話をもひとつ。

 

昨日会っていた友だちの下の子の話。家では元気でおしゃべりなんだけれど学校では一言も言葉を発さず、学校へもたまにしか行かないという状況が小学校入学以来2年間続いている。

 

不登校なんて、珍しくもなんともない昨今。中学校ではクラスに1人〜3人は必ずいるし、学校に行きたくないなんてむしろ全然まともだよ、と思ってしまう自分もいるほど。

 

友だちも、彼女なりに子どもに一番合った環境を与えてやれないかとフリースクールなどの教育機関やサポート団体などを探してはみたものの、

「結局、どこも最終的に学校に『戻す』ってところをゴールに設定しているんだよねえ」

と嘆息する。

 

ちなみに、「窓際のトットちゃん」のような個性を尊重する独特の枠組みを持つ学校の事も知ってはいるけれど、どこも通える距離にはなく、母子分離不安の強い子なので寮などとてもありえないとのこと。

 

大人数がだめ、騒音などの強い刺激がだめ、十把ひとからげの団体行動がだめ。そんな前提条件を不可避的に持っている子どもは、学童が1000人いてひとクラス40人を先生一人が見ているような学校にはそもそもフィットできないわけで、それは人によって個性だったり、発達障害だということになるのだろうけど、どうしてフィットできないままではいけないんだろう。

 

現状のいわゆる「普通の小学校」に通えたら上手く行ったということ、学校に通えることをともかく善とする思想ってどうなんだろう?

彼女の子のような子供たちは、あたかも通常より劣っていると言っているのと同義になってしまう。マジョリティーとは「違っている」だけなのにな。

 

また現実問題として、今、こんなに不登校が多いという状況があるにも関わらず、当事者にとって全然チョイスがない状況がいまだ続いているのもつくづくどうなんだろうと思う。

大したアドバイスもできないまま、ばか話ばかりで終わってしまって私は役立たずだった。

 

ご飯食べながらだんなさんに思っていることを話すと、

「医療や介護やどんな分野でもそうだけど、社会の現状の至らなさにぶつかって困ってしまった時は、同じ思いを共有した当事者が集まって、自分たちでより良い場所を小さいところから作っていくしかないんだと思う。行政やら誰かが何とかしてくれるってことは期待せず。良い活動をしている市井の人たちを多く取材していて、日本に限らず世界中どこでもそうなってると感じる」と言っていた。

 

いろいろ不満を言っていて、当事者意識がない自分に気付かされ反省するし、自分にできることを探しつつ、私にできるのはまずはこうして書いていくことかなと思い、なるべく正確に正直に、これからも思うことを書いていこうと思う。