続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「dele(ディーリー)」最終回

雨と共に秋に。もう暑さは戻らないんだろう。晴れ間ができたら、冬の布団を虫干ししなくっちゃ。去年もこういうお天気で、雨のままぐっと寒くなってしまい、冬支度できないまま薄い布団でぶるぶる震えて風邪をひいたのだったな。

 

この雨のなか、優太は早起きして八景島に試走に行った。走るの好きなんだなあ、と感心する。

バターをたっぷり入れたスクランブルエッグを焼き、こずかいを持たせて送り出す。

 

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昨日、「dele(ディーリー)」最終回。全部ひっくるめて終わらせなきゃいけない、というかんじでどうにも詰め込み過ぎ感漂う、いささか強引な内容になってしまったことは残念。ただ、作者で作家本田孝好の、今の社会の空気に対する静かな怒りを含んだ鬱々たる思いは、最もストレートに伝わって来た回だったように思う。

登場人物たちの台詞に「今」が込められていて、「そりゃそうだよね、皆、普通に怒っているのが当然なんだよね」とためいきまじりに思う。

 

ラスボスは、自己利益のために周囲の誰もを自己利益のために利用して憚らない大物国会議員だ。まあ、分かりやすいこと(笑)。

 

証拠など、いくらでも書き換えてみせる。なかったことがあったことになる。あったことがなかったことになる。覚えておけ。それができる力を権力と言うのだ。

 

あんたと話しても分かり合えるはずないよな。記録は消せても記憶は消せない。

 

ただ、「dele」が偉いのは「半沢直樹」にはならなかったこと。

ラストシーン、「仲村(国会議員)をやっつけたし、良しとしよう」という舞に対して圭は、

あんなもんじゃ終わらないだろう。記録は消さなきゃ消えないが、記憶はほっとけば薄れる。世間が忘れた頃に戻ってくる。

 

それを受けて舞は言う。

そうなったとしても、もう悪いことはできない。もしまたやったら、またとっちめてやればいい。

 

半沢直樹みたいに、架空のものに向けてガス抜きさせるようなことをしてはならないということを、作家は自覚して書いているように思える。

あるいは、あの頃のような「天に代わって誰かがお仕置きしてくれる」といった牧歌的な感覚にはもはや何のリアリティーがないことのあらわれなのかもしれない。

 

 

そうだよね、と思う。普通に怒って当然だ。

権力を持つ者があからさまに不遜な態度で人を見下しまともに向き合わない、不愉快な態度を日々見せられ、短期的な自己利益しか省みず、呼吸するように嘘を言い、手前勝手に税金を無駄遣いしまくっているこの状況を、あと3年、もっと続いてほしいと願っている人が常識的に考えてそんなに大勢いるとは思えない。

 

巧妙に情報が統制・抑圧・黙殺されていて、市井の人々が素朴に感じていることがひとつのまとまったエネルギーとしてアウトプットできないように巧妙にコントロールされている。

それは、あたかも成功しているように見えるかもしれない。

しかし、そのフラストレーションは実はとても大きいものだと思う。

 

他人ごとではなく自分もできることを考えていきたいし、同時にどこでビッグバンが起きるかを見守りたい。

 

キーッとなっちゃうのではなく、自分なりに周囲の人々と仲良く機嫌良く、日々を充実させながら。不機嫌な状況で下す判断は全部間違っているから。