続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「ショコラ 君がいて、僕がいる」

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2015年フランス作品/ロシュディ・ゼム監督/119分

 

喜劇王チャップリンの実の孫、ジェームス・ティエレと「最強のふたり」「サンバ」のオマール・シーが、100年前の実在の芸人コンビを演じた作品。

 

100年前のフランスの大衆文化、その中で芸人として生きた人々の生きざまと、一人の黒人男性の意識の変革と差別の歴史を見せることが主たるテーマといえる本作。

 

冒頭、いわゆる場末の見世物小屋とそこで生きる異形の人々の暮らしぶりの再現がフェリーニの「道」やベルイマンの「第7の封印」を彷彿とさせる。うらぶれていてもの悲しい、寄る辺なさがなんとも言えず魅力的。

 

20世紀初頭の華やかで汚いショービジネスの世界の「光と影」を見ているだけでもじゅうぶん楽しんで見られる。

 

フティットを演じたジェームス・ティエレ、はっとするほどチャップリンに似ていた。

4才からサーカスに出演している優れたパフォーマーだけあって、身のこなしや呼吸はさすが。

芸人の生きざまを演じる上でもこの上ないはまり役だった。笑いのプロの持つどうしようもない仄暗さとシリアスさにぐっと惹き付けられたなあ。

 

フランスにおける人種差別の問題、それを打ち破って華々しく成功するものの、搾取され続けるショコラ。

最終的にはお金でなく、尊敬を欲しいと願う。

 

捨て身で挑んだシェークスピア演劇で素晴らしい演技を見せるも、客に罵られて終わり、やがてすっかり落ちぶれて、変わらぬ差別の中で死んでいくショコラとその妻を映画はそのままに見せる。

死の床でようやく再会するショコラとフティットのやりとりは、やや情緒的に過ぎると個人的には感じたけれど、最終的に彼らの人生をどう捉えるかは観客に委ねられているから、感想は人によってさまざまだろう。

 

 

 

「人の意識」というものは、絶え間なくアップデートされていく。絶対的に正しい見識など存在せず、偏見・歪み・思い込みから人が完全に自由になることは不可能だ。

 

その中で、人は自分が納得するように、その時々の信念に基づいて行動するしかないのだし、そのことで良い目にもひどい目にも遭うが、それはあくまでその時の巡り合わせによるもので、不可避的なものだ。最終的にはそう開き直るしかない、多分。

 

間違ったり誰かを傷つけたりすれば、その都度謝って改めて行くということを繰り返すしかない。どんなにかしこそうに見えても、どんなに人格者に見えても、間違えることを回避することはできない。うんざりするが、それが真実だ。

だから、人には本来上も下もなく、自分の考えを疑い、悔い改めることができる能力だけが、真の知性を担保するのだ。