続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

手一杯がデフォルトって?

昨日は、ゆうたの陸上の大会で、朝5時半起き。

私は午後にようやっと髪を切りに行く事ができて、こざっぱりしてうれし。

夕方ゆうたを競技場まで迎えに行って、シャワーを浴びて少し休んだら、しんどいとぐずるゆうたのお尻を叩いてボーイスカウトの夏の活動の報告会へ。

 

しばらく前からボーイスカウトのこと今後どうする、と言い続けてきて、もう退団するしかないでしょう、という結論。

指導者も一堂に会する昨日の会が面と向かって話せる数少ないチャンスだったので、心苦しかったけれど退団の意を伝える。

 

あんなにたくさんいた中学3年生の最後のひとりだったゆうた。がっかりさせることを分かりきっていて、本当に言いづらかったけれど、もう本当に物理的に両立が無理なのだ。本当にごめんなさい、今までありがとうございました、と思う。

 

団長さんは、いつでも戻ってくるのはウェルカムですよ、と言ってくれたが、隊長さんは「辞めるのは簡単だ。とりあえず春まで休団してよく考えろ」という部活マインドな定型のことを言って辞めさせてくれない。

 

嫌で辞めるわけではなく、この先どう考えても戻れる見込みが立たず、もうよくよく考えた末の結論だ、ということを分かってもらえない。重苦しい。

 

小4からお世話になった。ボーイスカウトという場は、ゆうたにとってひとつの大事なセーフティーネットだったし、参加すればいつも楽しい。けれど、何を置いてもやりたいことではすでになく、もうそこに割けるだけの余力がない。

 

とにかく、時間が足りない。

 

 

先日、オケの定期演奏会後の卒団式での高3生のスピーチでも、涙ながらにどんだけ大変な中、なんとか両立をやりとげてここまで来たか語っていた。

去年の卒団式でも同じ話、本当に大変だったと泣いていた子がいた。

偉いね、すごいね、がんばったね、と皆感動してもらい泣きするのだけど、

そもそも、どうして学校と別のやりたいこととの両立が、ここまで激しく大変なんだろう?と心のどこかが気持ち悪く思う。ものすごいプロを目指しているわけでもないのに。

 

大人もそうだが、今の子どもってどうしてこんなにも忙しいんだろう?

10年前も子どもはこんなに大変だったのかな?

ここまで大変なのがデフォルトになっているって、何かが狂っているのじゃないだろうか。

 

私学受験も塾通いもしないゆうたでさえ、「なるたけ詰め込まないよう、詰め込まないよう」と日頃から思っていてさえ、気がつけばぱんぱんだ。

まずもって、デフォルトである学校と部活だけで生活の大部分をびっしり占めてしまうので、本来はそれで手一杯。他にやりたいことがひとつあるともう物理的に無理がくる。

 

忙しすぎるって、本当に嫌だなあ。誰も悪くないのに、平和を壊す。人と人をひきさく。

「モモ」に出てくる「灰色の男たち」がそこここに潜んでいて、皆の時間を盗んでいるのだ。

 

先日、オケの役員のお母さんと雑談していて、高校3年生のお姉ちゃんいると言うので、「わー受験で大変ですねー」と適当な返しをすると、「多分留学だから。親が言っても聞かないから」と少し寂しそうに言う。

 

小学校から一貫教育の進学校で、まじめで教育熱心なお母さんの元で育った箱入り娘のお嬢さんはこう言っていたという。

 

「高校1年の時にオーストラリアに4カ月短期留学した時、『これがヒマというものか!』と生まれて初めて知った。

物心ついて以来、『時間がある』ということを感じられたことがなかった。

空を見たり、ゆっくりとりとめのないお話をしたり、目の前の何かをじっくり感じたりするということに、ほとんどまともに向き合わないまま、今まで駆り立てられるように、目の前のタスクをこなすことを必死に生きてきて、一体なんなのだ、ここにある暮らしとの違いはなんなのだ、と気付いてしまった。

だから、ひとまずここにはもういたくない」

 

考えさせられる。これって、少しも誇張した珍しい話ではないと思う。

おかしなことになっているということ、それにどう立ち向かうかということを、少し深く考えないと。大人たちも子どもたちも。