続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

今日が楽しい

子供たちが合宿に行ってしまって、だんなさんとふたり、老夫婦みたいな静かな暮らしをしている。

 

おとといは日帰り箱根、昨日は買い出しに映画。今日はだんなさんはサーフィン、私は生理になってしまったのでジムをあきらめて家でゆっくりする。気が向いたらちょっと原稿も書こうかな。向かなければ書かないでいいや。

 

だんなさんは出張だの、母子帰省だのでたびたびこういう「静かモード」を経験しているけれど、私は子どもがいないまとまった時間って本当に久々なので、ちょっとどぎまぎするほどだ。

 

平和で、家の中は整っていて、しんと落ち着いている。穏やかで少し寂しい。

10年後にはこういう暮らしがやってくるのだろうと思うと、余生感がハンパないなあ。

子どもが赤ちゃんの時には、この夜泣きが永遠に続くくらいの気持ちでいたのに。自転車の子ども乗せシートももう外してしまって、町で汗かいて後ろに座る子どもに大声で話しかけながら走るどこかのお母さんをうらやましいような思いで笑顔で見ている。

全てはわりにあっという間に過ぎ去っていくのだな。

 

もう、平常モードに戻って普通の日々を過ごしているのだけど、今回は自分の身体のことや父のことがあって、「そのうちに死ぬ」という考えが通奏低音みたいになかなか離れて行かず、ずうっとうすぼんやり考えている。

 

これに限らず日頃から、禅問答みたいな話に付き合ってくれるだんなさんでありがたいとつくづく思うばかりだが、昨夜の散歩の時にだんなさんと喋っていて、ちょこっと「見えた」気がした。ぐっとつかまえようとすると、するっと逃げていってしまうくらいに心許ない感覚ではあるのだけど、それは

 

「今日が楽しい」ということをやっていくということかなと。じっくり考えて、選ぶ。

 

何かがあれば、これができれば、あすこに旅できたら、存分に極められたら。

ほしい・したいと思う気持ちは、向上心や好奇心であり、前向きな活力を呼ぶものだけれど、とりもなおさず「欲」である。そこを一番に据える生き方は、いつの間にかもう馴染まないものになっていたのだなあと気付く。好奇心が自分の取り柄だと随分長いこと思って生きてきたけれど。

 

気がつけば、人に対しても、物事に対しても、お金に対しても、欲深くなく、シンプルにありたいなーという気持ちが今は大きくなっている。

短い人生なのだから、できるだけみんなと仲良く。

損得・計算・表裏、みいんなめんどくさいから手放したいなーという気持ち。

 

 

「とはいっても」とだんなさんと言い合う。

「威圧する人や嫌なことを言う人、差別してきたり何かを強要してきたりする人に対してどうしたらいいのかって話さ」

「すーぐカチンときちゃうからね(苦笑)」

 

所詮そんなもんである。