続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

世界と和解したいらしい

Lowな気分のまま、ついに40代後半戦に突入する。

考えごとで頭の中がぐるぐるしていて、落ち着かない。どこか上の空みたいな調子のまま、でも着実に時間は経ってゆくのだなあ。

 

耳の下にできたしこり、先日精密検査の結果が出て、リンパ節の腫れらしくしばらく様子を見ようということになった。大したことないとわかってホッとするも、「どうして腫れが治らないのかは分からない」と言われ、これからも病院通いは続きそう。そういうスッキリしなさ加減も、このところの自分の精神状況とリンクしている感じ。

 

実は初見では腫瘍かもしれないと言われていた。

ふうむ、そうですか。

そのことに派生して、わりに色々なことを考えることになった。はたと立ち止まる。

毎日を悔いなく過ごせているか、やり残したことはないか、今やっていることは本当にやりたいことなのか、そういうことをとりとめもなく。

 

考えはちっともまとまらない。

どうも今のままでは悔やまれるのだが、自分の何がモンダイなのかもよく掴めない。

 

帰省の時に、妹に雑談の中で、

「もしさー、余命1年とかって言われたら、何したい?」

と訊いてみた。そしたら、

 

「何したい?あんまないなあ。片付けたいかな。ほら、恥ずかしいもんとかあるやん。(旅立つ)準備したいかな。

仕事?まーそれは暇やったら続けてもええし、ほんまどっちでもええねん。仕事が生きがいとか一切ないからー。

今は楽器を吹けてるからそれがほんま満足してんねん。ブランクもあったし、自分なんかって思ってたけど、やってみたらなんとかなるって分かって嬉しかった」

 

と言っていた。なるほど。

妹は、このところ精神的にはまずまず良い状態にあるなあと感じていた。

それほど楽器を吹くのが楽しかったのかーと驚く。再開できて本当に良かったねえ、と。

そして、今の職場で良いメンバーに恵まれたことも大きそうだなと見ていて感じる。

 

妹は、不器用でできることとできないことがわりにはっきりしている人だけに、年を重ねて自分なりに自分のやれそうなことと、どこが満たされれば満足かってことをかなりちゃんと掴んでいるのだな、偉いなと尊敬した。

 

楽器にしても仕事にしても、外部評価みたいなものは一切見ていなくって、「周囲の仲間たちと仲良く楽しく好きなことや苦にならないことをやっている」ということがゴールで、詰まるところ人生の楽しさってそれで十分のような気もする。

 

 

どうしてもここではないどこかにより良い何かがあるような気がしてしまう、現状が不本意だと感じるという今の自分のマインドは、妹よりもずっと子供っぽいと感じる。

いつも現状に飽き足らない好奇心が自分の人生をカラフルに、面白くしてきてくれたのだと思う反面、今はもうそういうフェイズでもないということが分かる。

 

 

悔いなくあるためには自分が何をやりたいのか、ぼんやりじーっと考えていて、ふと昨日湧き上がったのが、

「私は世界と和解したいんだ」

という言葉だった。言葉だけが先に出てきて、どういうことなのか自分でも良く分からないのだけど、あれがしたいこれがしたいどこへ行きたいとかじゃなく、自分の内側のことなんだということに触れた瞬間。

どういうことなのかある程度腹に落ちるまで、また何日も何週間もぼんやり考えるんだろう。