続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

うつろう

この猛暑省ゆえ、何にも予定を決めず、ゆるゆると過ごすと決めた今回の母娘2人の帰省。

毎度の事ながら、体調を崩して寝不足になって帰ってくる。今日いちにちはリカバリーに充てる。仮にも生まれ育った実家だというのになあ。

 

父は、会うたびに青白く小さくなっていく。目ばかりぎょろっと大きくて、じっと見られると少したじろぐ。

ただ、前回の入院中と違って、随分自分のことは自分でできるまでに回復していたので(一つの動作にめちゃくちゃ時間はかかるが)、そこはかなり安心する。前回はお箸どころか、スプーンを持つのもやっとだったからなあ。

そして拍子抜けするくらい認知症も全然出てなかった。ただ、洗面所の棚に試供品サイズの小さな練り石鹸があって、「お父さんが食べたんや」と母が笑いながら教えてくれる。見るとかじった歯型が丸く付いていた。

 

今回の帰省中には、思いがけず涼しい日があったので、近所の公園へ一緒に散歩に行くことができた。車椅子だろうと思ったら、ベビーカーによく似た、椅子の座面の付いた老人用の手おし車を押すという。

大丈夫かと少し心配したが、予想に反してまずまずのスピードで歩き、公園の向かいにあるスーパーで好きなお菓子を次々買って、近くの洋菓子屋でソフトクリームを買ってきてベンチで食べることまでできた。

 

自分にとっては当たり前のスーパーでの買い物が、父にとってはすごい刺激ですごいエンターテインメントなのだった。ゆっくり、隅々まで店内を練り歩いて、欲しいものがあったらおっちんにカゴに入れるよう指示をする。

 

父は基本的に身勝手で気分屋なので、与えられたものだけを大人しく食べているという今の状況はいささかしんどかろうなと思う。今の気分で食べたいものをその場で買って好きなだけ食べるとかって、まずまずの至福だろう。

父の目を感じつつ田舎のどん臭いスーパーを見渡すと、カラフルで随分面白い場所に感じられて新鮮だった。

 

なんや結構できるんやん、これからもこうして過ごせるといいよね、と思うも、一人で自由に外出するのはさすがに無理。付き添う人がいなければ引きこもっているしかない。

母はそんなん付き添わないし、父も気兼ねして行きたいとも言えないので、退院後初めてのまともな外出だと言っていた。

 

私はたまのゲストだからいい思い出できたねくらいの感覚だが、母や妹は父の嫌な部分に日々触れているし色々こうむっているから、クールなものだ。自分も彼が若い頃全然好きじゃなかったから、まあそうであろうと思う反面、父の言い分を別段わがままとも思えず、当然のささやかな主張だよね、と内心感じるところもある。健康で文化的な最低限度の生活。

しかし、父の汚れものを洗う訳でもない、いちいち介助に呼ばれることもない自分には口出しする資格などあるわけない。

 

あと何回会えるだろう、と思いながら毎度故郷に戻ってくるのに、いつも大した話もせずまた別れる。今は元気な母だって、そんなにたくさんはきっと会えないのに。なんという話もしないまま、ただ食わせてもらい、色々手土産を持たせてもらい、新幹線の駅で手を振って別れる。

 

今回は、帰省中に年に一度の父の兄弟の集まりがあって、数年前にガンで亡くなった一番下の叔父の娘、私よりも年下の従姉妹がガンで亡くなっていたことを母づてに知って驚く。それを伝えに来たおばもガンが再発して今ステージ4で、ガリガリに痩せていたという。

 

 

毎度変わらぬようで、実は絶え間なく色々なことが移ろっている。

でも、「これが最後の帰省です、次はない」と言われても、きっと同じようなとりとめのない話をしているばかりなんだろう。