続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「横道世之介」

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2012年/沖田修一監督/160分

 

おっちんと、Netflixにて鑑賞。

 

沖田修一監督は、日本のキャメロン・クロウだなあと思う。

きれいなものしか見たくないということではなく、むしろ格好悪いところにこそ、人間の愛おしさや可愛らしさを見出す。大上段に構えることなく、何の雄々しさや崇高さもなく、生きることは悪いことじゃあないよね、というしんみりした優しい気持ちを残す。

クロウも、沖田監督も、何より「泣き笑い」の感覚があるところが一番素敵だなあと思う。

 

役者の使い方も好きなのだよなあ。人気やネームバリューのある俳優に寄りかかるのではなく、その俳優の一番いいところを引き出そうとするようなキャスティング。そこもまた人間好きな監督だよねえと感じる。この作品はキャスト数も多かったので、「あれこんな所にこの人がこんなかんじで出てる」を見るのも楽しめた。

 

吉田修一の同名小説の映画化。吉田修一の映画と言えば、李相日の「怒り」や「悪人」のような人間の業にぎりぎりと食い込んでいくようなハードな作品を思い浮かべてしまうのだけど、そうかこの作品も彼なのか。ふうん。

随分昔に小説も読んだけれど、内容をあらかた忘れてしまっていたので、ところどころ「あーそうだったそうだった」と思い出しつつ見る。

 

冒頭から、80年代の新宿の駅前の様子が面白い。くるくるした瞳のポニーテールの斉藤由貴が「AXIA」のカセットテープを持っている大きな広告。グリコの「キスミント」ガムのイベントでかなり残念なレベルのアイドルグループが調子外れのポップソングを歌い踊っている。

(今のAKBとかパフュームとかが超絶エンターテナーに思える)

 

2時間40分の長尺作品、いささか編集が間延びしている感を前半ほど感じたが、こうした時代の空気感の再現、それをじっくり感じさせたいのだろうなというこだわりを感じた。時制が頻繁にスイッチすることの多い作品だけに、一見で今か昔かを観る者に伝えなくては観る人がしんどい。美術や衣装は細部にわたって良い仕事をしていたと思う。

 

 

人として生まれてきた以上、周囲の人たちを愛し、彼らにも愛されたいのは皆同じ。SNSでキラキラした自分を演出するのも、自分磨きをするのも、「ほら、私ってこんなに素敵で良い人で、デキる人で、人気者です。皆んな寄っといで〜」と言っている部分も少なからずある。ミスチルの歌じゃないけど、愛してくれと叫んでいる。皆んな誰かに愛されたくて頑張っている。

 

けれど、横道世之介は、そんな努力は一つも必要ないんだよ、と身をもって示している。能天気な青年の、事もない思い出話のようでいて、現代の価値観に対する強烈なアンチテーゼにもなっているのがこの物語。

 

僕たちは、どうしてすごくならなくちゃいけないんだろう?すごくなったことで、何を得たんだろう?むしろその過程の中で失ってしまったものがあるんじゃないだろうか?

 

世之介くんは、誰もジャッジしない。そもそも自分はこういう人間です、という定義をしていないから、誰が自分に合っていて、誰は合わないとか、誰が自分にふさわしいとかふさわしくないとか、人に対する上下感覚が一切ない。誰かと繋がることで得をしようという感覚も、人を利用する事も、何かチャンスの機会があって、そこから何かを掴み取ってやろうなどという感覚ももちろんない。

 

そのことだけで、わらしべ長者みたいに彼の人生は祝福されたものになっていく。大きな成功とは縁遠い。ささやかだろうけれど、とても彼は彼の人生を気に入っている。

 

全ては等価で、静かに右から左に流れていく。彼はただいつも機嫌良く、求められたことには真面目に応え、目の前の人に親切にあることだけをする。

 

これって、以前本で読んだ密教の最高のお坊さんの生き方に結構似ている。

誰に対しても同じ優しく親切で丁寧な態度で、嘘も一つもつかないから、おじいちゃんになってボケてしまっても、何の変化も問題も起こらない、そんなきれいな生き方。

 

 

時間が流れて、人と人との繋がりも移ろい、親密だった人たちももういなくなってしまった。そのことは世之介くんにとって虚しいことなのだろうか?

 

不運な電車事故であっけなく死んでしまった世之介くん。

ふと思い出した人たちは皆、彼を笑顔で思い出す。

そこにはたわいもない日々があっただけだった。けれど彼は誰も裁かなかったし、傷つけなかったし、彼らの思いをいつも尊重してくれた。

 

 

誰かに尊敬されたり、誰かを支配したりすることよりも、自分が死んだ時に、ニッコリと笑顔で思い出してくれるような人が一人でもいるということの豊かさを、世之介くんは一つもすごいことをせずして伝えてくれる。

 

もっともっと努力すること、頑張ること、さらなる高みを目指すこと。

成功や安寧のためには、いつかのために、今の多忙や苦難を甘んじて受け入れよ。苦労しない者にはいずれ罰が下るのだし、怠けた末には敗北が待っている。それは自業自得だ。

 

子供も大人も日々この思想を刷り込まれ、今の世の中にあっては誰も否定することのできない当たり前の価値観のように信じられている。

 

でも多分、行き過ぎたそれは、もはやトリックなんだ。

人が生きるには、自分以上の何者かになるための努力や無理をする必要はないし、毎日を良いものにすることの積み重ねだけで基本は十分のはずなのだ。その上で、自分に向いた、好きなことを追求できれば文句なし。

それくらいの緩やかな感覚を持って、子供にも接していきたい。