続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「ファントム・スレッド」

昨日は低体温な友人Mさんと久々に会う。近所の定食屋さんでご飯を食べてからコーヒーとフレンチトースト。

つられて声が小さくなるのが面白い。

自分は、地味な暮らしだがルーティーンが苦手なたちで、何かしら突発的なことに対処したり、思いつきでやってみたりということが日々の中に組み込まれている。それでも自分の感覚としては暮らしとはこんなもんで、日々事もないと思っているのだけど、彼女のいつも判で押したような規則正しい暮らしぶりを聞くと、自分が随分不安定で行き当たりばったりな人生のように思えてくる。

単調で端正な暮らしは心の平安をもたらすと思う。今の時代、何かしら生き生きやっていないとだめかのように思わされてしまいがちだけど、そんなことは全然ないのだな、幸せとは調和だ、と改めて思う。

 

f:id:beautifulcrown7:20180706111446p:plain

シネスイッチ銀座にて。シネスイッチもいい映画館だな。

というか、やっぱり銀座っていいな。和光とかある表通りはばーんとしているけれど、一本中に入ると、古いこぢんまりとした高級そうな個人店が点在して、それぞれが誇り高い雰囲気を持つ。その多様性やプライドの高さ、心が行き届いている感じの細やかな清潔さが、どこか京都の古い街並みを思わせる。

 

汐留からてくてく、銀座8丁目の方からずっと有楽町近くまでのんびり歩きながら、なんだか独特の心地良さを感じた。夕暮れ時で尚良し。白い百合だけで作った花束が山のようにディズプレイされた花屋で、この百合たちはどこにもらわれていくのかしら、と想像しつつシャッターを切る。

 

そんな銀座で見るのにフィットした今作。

隅々まで完璧に美しい柔らかく端正な映像と音楽は、主人公の神経症的に潔癖なレイノルズの世界観をそのままに反映している。

物語が取り扱う感情は非常にどろどろとしていて、表面をきれいに取り繕っているだけに尚更業の深さというか、怖い醜さをたたえている。ぞっとするような冷徹な視点で人間を見つめている。甘い楽観性は排除されている。

こうした人間の根底の怖い醜い部分を、この上なくロマンチックに優美に描くというのが、P.T.A.(ポール・トマス・アンダーソン)独特のセンス。憎いくらいにお洒落だが、いやはや、怖さもひとしおだ。ホラーだ。

 

マーベル的な、アトラクションのような映画の「体験」とはまた違う、P.T.A.の映画は、ひとつの体験だといつも感じる。とりたてて分かりやすい筋立てはないのに、非常に計算されたスムースさがあって、物語の世界に潜るみたいに入り込んでしまう。

この「連れ去られる感覚」は毎回素晴らしいなと思う。こういうのを純粋な才能と言うのだろうな。

 

本作は、P.T.A.のオリジナル脚本で、本作の動機は、有名なコメディエンヌ・女優の妻、マーヤ・ルドルフとの関係性に起因するとどこかで読んだ。

才能豊かで多忙を極める彼が病気で倒れ、寝込んだ時に、いつもぎすぎすした関係性にある妻が、この上なくかいがいしく看病をした。このようになって初めて夫が自分だけのものになった。その妻の甘美な感覚の怖さへの戦慄が、物語には織り込まれている。

 

そうした事前の話もあって、主人公がP.T.A.本人とが重なって見えて仕方なかったし、これを世に問うというのはなんと残酷なことだろう、自分が彼の妻なら、到底夫婦を続けて行くことはできないだろうと、見終わった後に密かに嘆息した次第。

非常に込み入った自意識をじっくりとこねくり回しているかんじが、実に太宰治的であった。

全てをこやしにする性というのか、作家とは罪なものだ。彼自身、自意識の地獄に生きている感覚も凄まじいと思った。

平凡に幸せに生き、こういうものを見せてもらえる自分はなんとお気楽で幸せなことか。