続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

日大元監督とコーチの謝罪会見に思うこと③未熟な老人たち

③さて、今日も一日元気でがんばろうー!お天気がいいので、さくさく働くぞ。

と、その前に、もうひとつだけ日大アメフト事件に思うことを書き留めておく。

 

選手の会見に比べて、監督とコーチの会見への興味はそもそも薄かった。相当長時間会見をしていたらしいけれど、ニュース番組で編集されたものを見たのみ。

ところが予想を上回る愚かな対応だったので、びっくりしてしまった。謝罪者である監督・コーチだけでなく、司会をつとめた大学関係者の尊大な態度も非常にインパクトがあって、この組織が反知性的な視野狭窄に陥っていることが浮き彫りになったかたち。

女子レスリングの会見も同様にひどかったけれど、こういう組織のありようは、けして特別なものなんかではなく、これはもう、日本の多くの大人たちが著しく劣化しているということなのかなあ、これは自分を含めて考え直さなきゃいけないなあ、と目を丸くしながら思った。

 

しかし、若者はしっかりしていた。そこが大きな希望。

大人たちの保身や言い訳は、皆蛇足という気持ち。

私たちももちろんがんばらないといけないが、未来を作るのは子供たちだ。

 

 

先日このブログで紹介した、思想家の内田樹氏のインタビューの中(

http://bunshun.jp/articles/-/7155)で、主に団塊の世代の幼稚な老人たちについての考察があった。

 

話のポイントは、以下のとおり。

団塊の世代は、とにかく数が多く、同質性が高く、かつ態度が大きい。生まれてこのかたいつも社会における最大の年齢集団だったために、マーケットは常に彼らをターゲットとしてきた。彼らの望みは常に叶えられてきたので、どうしてもわがままになる。

 

・その結果として、他の世代に比べて協調性がなく自分勝手な集団が、今のきなみ後期高齢者になろうとしている。

 

・高度経済成長を担って来た団塊の世代の特に男性は、若い時からずっと仕事漬けで、家事も育児も介護もしたことがない。あまりの生活能力の低さに加え、自己中心的なこの集団が介護や医療の現場で現場の人々にどれだけの苦労や迷惑をかけるか計り知れない。

 

・もっとも大切な生活能力とは、他者となんとか折り合いをつけながら限られた資源を分かち合い、共生していく力のことである。

しかし日本の教育システムは、ひたすら子どもを競争的な環境で相対的な優劣を競わせてきた。同年齢集団で仲間を蹴落とす事で出世するシステムの中で生きてきた人間に、「他者との共生能力」は期待できない。

 

・60才を過ぎて今さら社会的成熟を遂げるのは無理。大人になる人はもうとっくになっている。その年まで大人になれなかった人は「老いた幼児」になるしかない。

 

しかし、彼らを責めることは誰にもできません、と内田氏は言う。

敗戦後復興するために、「大量生産・大量流通・大量消費」というスキームに当てはめるため、異様に同質性の高い集団を作ることを国策として意識的に70年かけて行ってきた結果、大量の幼児的な老人が生まれることになったのですから。

 

 

さて、私たちが今直面しているのは、未来を担う若者を踏み台にすることもやむなしとする、このような一部の自己中心的で幼児的な老人たちから社会をいかに守り、同時に彼らとどう折り合いをつけていくのかということなんだろう。