続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

日大アメフト部選手の謝罪会見に思うこと(②魚は頭から腐る)

ぐっと息を詰めるように昨日の会見を見ていたら、1時間近くが過ぎていて、もうヨガには間に合わなくなってしまった。それだけ集中して見ていた1時間だった。今日は雨降りだけど、頑張って行かなくっちゃ。

 

 

先日のカンヌでのスパイク・リー監督の受賞スピーチ、『リーダーが、人々の倫理的な意思決定の方向性に影響を与える』という言葉を、昨日いちにちだけでも何度も思い知らされた思い。

 

現政権が、ものごとのルールや秩序やけじめをことごとく壊したことによるもっとも重たい罪は、

・権力を持つ側が、あったことをなかったことにすることができると信じ、みえみえでやぶれかぶれでも嘘を平然と突き通そうとするようになったこと。

・嘘を隠蔽するために、彼らのために働いた周囲の人を損なっても構わないと考えるようになったこと。

・そのような振る舞いを人として恥ずかしいことであると認識しなくなったこと。

この恥ずかしい考え方が社会的に通用するものであると、一般の権力を持つ者たちにも敷衍化させたことだと思う。

 

また、どんなにあからさまな差別表現であっても、危険な思想を示す言葉であっても「誤解を招く表現をして」「言葉足らずで」「そういう風に捉えられたのだとしたら」という枕詞を必ずおいたうえで、しぶしぶ謝るケースばかりが目につく。もはや定型句化している。

 

狛江市長、日大アメフトの内田氏、日大広報、「結婚しない女性は他人の税金で老人ホームに入る、3人以上出産しろと若いお嬢さんをつかまえていつも言っている」と言った自民党議員、記者にセクハラした事務次官、「セクハラ罪はない、はめられてることもありうる」と言った麻生大臣、佐川氏に柳瀬氏。みんな判で押したように同じパターンの言い草。

 

「誤解を招く」「そういう風にとったのだとしたら」という言い方は、みえみえかつとても卑怯な言い方だ。

「従った側・受け取った側・傷つけられた側が、考え足らずで誤った判断している」と一方的に決めつけて、一見謝るように見せかけて、さらにマウンティングしたうえに責任転嫁をしているからだ。

 

アメフトの内田氏が「すべて私の不徳のいたすところ、全責任は私にあります」とコメントし、記者の質問にはイエスノーで答えられるもの含めて何一つ自分の言葉で語らなかったさまも、

安倍首相の「全責任は、私に、あります。このうえは、しっかりー、膿を出し切って」うんぬんとそつくり。

 

あたかも、私は悪くないですが、部下の責任を男らしく全部引き受けますと言わんばかりで、どのツラ下げてそんな事を言えるのだろうこの人々は。と無言で呆れて見ているのみ。

もう、このレベルになるとモラルの感覚がかけ離れすぎていて理解不能だけれど、彼らが上に立ってえばっていることで、社会に、人々の心に悪影響が広がり続けていることは大きな問題だと思う。

 

そして、昨今顕在化しているある種の事件にも共通点がある。それは、

【権力を持つ者が、従う側の者に従わざるを得ない状況下であいまいに教唆をして、従う側が忖度してそれを実行する。ことが事件化すると、

『そのような意図の指示をした訳ではない。受け取る側に誤解があって、あくまで実行者が自主的にやったことである』

と言い逃れをして、最終的に実行者が全ての責任を押し付けられる。

権力者たちは、何の責任も取らない】

というもの。

 

 

根っこに森友・加計学園のことがあることは、明らかだろうと思う。

社会のあらゆる場所で、このようなパワハラを行う人物にエクスキューズを与えているのが今の政権のありようだと思う。

 

うちの子たちには、「ほら、大きな会社の社長や大学の先生や有名な政治家は、優秀で立派な考えを持っているからなれるというわけではないみたいだよ。むしろ逆の人間性だからこそ、このような立場に上り詰めたということがあるのかも。この大人たちと、選手の姿をようく見ておきな」と言って、会見とニュースを一緒に見ていた。

映像は、正直だ。いい年した大人の顔には、隠し用ようなくその人の品性があらわれている。

 

Enough is enough. 

もう、終わりにしてもらいたい。