続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

日大アメフト部選手の謝罪会見に思うこと(①加害選手について)

昨日は、「アイ・トーニャ」の朝一番の回に間に合うよう、弁当やら朝ご飯やらを作りながら着替えて準備して、ダッシュで家を出る。しかし渋滞に巻き込まれてひやひやしながらなんとか10分前に映画館に到着。

 

映画がとっても良くて、ほくほくでだんなさんとランチしてから帰宅し、今ならまだ夕方からのヨガに間に合う時間、今日は充実しているわあー、と思いながらテレビをつけたら、ちょうど日大アメフト部の問題を起こした選手の会見の中継が始まったところだった。

 

思わず見入って、内容に驚愕してあいた口が塞がらず。そして見るうちになんだか涙が止まらなくなってしまい、泣いたりせず落ち着いて会見をしている当の本人である選手を、ことのあまりの情けなさ、申し訳なさに何度もため息をつきながら画面を見つめていた。

 

 

このことが、こんなにも大きくニュースで取り扱われているのは、言うまでもなく、ここで起こっていることが、今の日本の縮図だからだろう。

それに加えて、映像を通じてさらにさまざまなことが透けて見えて、編集されていない映像の力のものすごさを改めて痛感した。こんなにも複雑な思いにさせられたことはないという気持ち。

 

 

加害選手について思ったこと。

 

まず、こんなにも真摯でまっすぐな、「ちゃんとした」謝罪会見を見たのはほんとうに久しぶりで、そのことにびっくりしている自分がいたということ。こんなちゃんとした会見をする人をテレビで見たのは、いつくらいぶりのことだろう・・・・。

 

自分が日頃、テレビで見せられている大人たちの醜悪さがあまりに際立って感じられて、心底情けなく、忸怩たる気持ちになった。

 

自分がやってしまったことの意味を正面から受け止めて、どんな事情があろうとも、最終的にそれを選んでやったのは自分自身だったと彼は言った。

 

「それには当たらない」「答える立場にない」「訴追の恐れがあるので控えさせていただきます」「覚えていません」「記憶にありません」「聞かれなかったから言わなかっただけです」

書いていて胸がむかついてくるけれど、選手の朴訥でまっすぐな言葉に比べて、この言葉たちの嫌な臭いを発しているような汚さってなんだろう。

それは、みんなひとつのことだけを言っている。

「わたしのせいではありません」ということ。

自分がどう考え、どのようにそのことを受け止めているかということは、ひとつも含まれていない、何の反省も責任感も内省もない、保身だけの言葉たち。

 

選手は、とても間違ったことをした。あの状況にあって、ああいう風に追い込まれて、断れる人がどれだけいるだろうと思うけれど。

しかし、彼は最終的にアイヒマンにはならなかった。これから、大変なこともたくさんあると思うけれど、そのことがどれだけ彼の人生にとって値打ちのあるものか、計り知れないほどだ。

彼はどうしようもない大人たちに、彼のアメフト人生をめちゃくちゃにされてしまったけれど、彼は彼自身の手で、自分の人生を守ったと思う。

関学の選手が、致命的なケガにならなかった幸運とともに、そのことを心から良かったと思う。

 

 

また、謝罪とは何か、ということ。

やってしまったことはもう起こってしまったことであり、なくならないし、どうあっても帳消しにできるものではない。謝って許される事ではない。

その事実を胸に抱えながら、自分なりの償いをひとつひとつ重ねていくしかない。

選手は自分には今後アメフトをすることはない、顔を出さない謝罪はなく、真実を正直に話す事が謝罪の第一歩だと言った。

 

翻って、大人たちの謝罪の仕方は一体どういうことだろう。

今、政治家の失言が代表的だが、「謝ったからもう済んだこと」と、当然のように思っているように思える。そんなことでは、全然ない。行動も言葉も、やってしまったことは消えてなくならない。謝って済むことは、どんなことであれ、本来はない。

選手の誠実な姿勢を通じて、その基本が大人たちがによってねじ曲げられ壊されている事を、改めて痛感させられる。本当に恥ずかしいことだと思う。

 

今の世の中で、何らかの罪を犯してしまった人が、顔と名前を世間にさらして発言をするということのリスクは、きっとそういう目に遭ったことのない私なんかが想像もできないくらい大きいものだと思う。

 

けれど、選手は相手方に謝る事や真実を公表してもらうことを監督や組織に塞がれて、直接会見を開くしかなかったし、会見を受けた昨夜の日大の最低なコメントを見るに、この会見をしなければ、彼は実行犯として全ての罪を着せられてしまっていただろうと思う。

 

何より、映像は雄弁だ。

選手が自分のしたことから逃げず、ただ正直であることだけを胸にきちんとした言葉を述べたこと、態度を示したことを普通の感性を持つ人なら、彼の清潔さを誰でも受け取ると思う。