続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

あたまでっかち

一日が早いなあ。後1時間程で戻りますとだんなさんからライン。家が汚く洗濯物が詰み上がっているのでちょっと焦る。

 

今日は茅ヶ崎のMOKICHIで久しぶりの友だち2人に会って来た。ゆうたが赤ちゃんの時に知り合った人たちで、2人ともすごく若くで出産した、年上の友人が多い私にとっては珍しいひと世代下の友人。

 

それぞれ3人出産してそろそろ片づいた、という段階でまだまだ若くて、若くで出産子育てを一通り終わらせておく事も良いことだなあと彼女らを見ていて思う。

頭でっかちでなくて愛情深く、とても良い子育てをしていていつも尊敬している。

 

ただ、子どもの進路や将来に関して、既存の社会のレールにいかに乗るか、そしてまっとうな勤め人に育て上げるか、ということに一所懸命な感覚は私にはあんまり、というかほぼないので、そこはフムフム、と聞いているのみ。

 

 

先日取材した経営者が、「雇われることの価値は、今後ますます下がって行く」と断言していた。事実、現在進行形でその流れは加速していると感じる。

取材では、経営者など雇用側の人に突っ込んだ話を聞く機会が多いということもあって、昨今の社会状況にあっては、基本的に雇われるということは割に合わないものだと感じてしまう。

 

また、「高度プロフェッショナル制度」が強行採決されようとしていると今朝のニュースで見たけれども、もしこれが通ったら、さらに世の中がブラック化するのを後押しすることになるのは明らか。

だって、深夜労働をはじめとしたあらゆる規制をはずれ、雇用側が実労働時間を把握していなくてもオーケーな訳だから、過重労働は自己責任化する。

 

企業が過労死認定で罰せられることは事実上なくなっていく。それがこの法案を通したい「雇用側」の目指すところ。

 

言葉って恐ろしいなと思う。「高度プロフェッショナル」とか、人を騙す言葉を使って、政治家は本当に悪いと思う。これは「自己責任無制限労働制」でしょうと思う。

裁量労働制をひっこめたと思ったら、たった12人にヒアリングして、またこんな法案を出して来た。

このニュースに限らず、結果ありきで杜撰な進め方でもって、普通に暮らす人々の幸せを考えてくれているとはとても思えない今の政治。これを30%もの人が良しとしているということが、何よりの問題なのだろう。

 

おっと、つい思い出してムカッとして話が逸れてしまったけれど、大学が本来のアカデミックな役割を果たさず、平たく言うと、企業のために高スペックの代替可能な企業戦士を量産するためのアウトソーシング機関と化していることが、多くの教育人から非常な危機感をもって語られている文章なども読むにつけ、ひとつでも偏差値の高い学校、大学へ進学させるために塾で猛勉強とか、若く貴重な時間がもったいない、と思ってしまう。

私たちは、何のために学ぶのか。相対的な競争ばかりで、学ぶこと本来の喜びを感じられる機会がどんどん奪われているのはとても残念なことだし、そんな中で進学に対する自主的なモチベーションを子どもに求めるのは、無理があることでしょうと思う。

 

参考までに、京都大学の学長のインタビューのリンクをシェアします。

 

 

無論、人によって考え方はさまざま。余計なお世話にならぬよう、こんな個人的な考えは、親しい人にしか話さず、こっそりこういうところに書いてひとり納得しておさめてしまうことが常である。

 

また、自分のこういうところこそが「頭でっかち」なのだろうなーと自省もするので。

栄養があるものをちゃん食わせ、彼らのために必死に働く背中を見せ、愛情をかけて一所懸命育てれば、結局全て結果オーライってことになるんだろうなと、彼女らを見ていると明るい気持ちで思えてくる。

自分が見えている世の中に比べて、彼女たちの住む社会は、信頼するに値する、楽観的なものに思える。

私の見え方が間違っているのかもしれないな、とふと思った。