続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

サボタージュ

春休みに入った。良いお天気。

金曜日は、振り払うみたいにしてがんがんヨガをやって温泉ざばーしたんだけれど、そこはかとないもやもやは継続中。

もう、これは春だからしょうがないと諦める。

春は、世の人々にとってはこんなにも良い季節だというのに、私にとってはいつも情緒不安定になる、不機嫌なシーズン。

植物がぐんぐん芽吹く様子や、風が柔らかくなる感じとか、とても好きなのに、浮かぬ気持ちをどうしようもない。わたし、がんばれ、と励ましつつ乗り切る。

 

しかし、年を取ることの良き側面のひとつは、何かが降り掛かって来ても「この感じ、経験あり」ときちんとすっと認識化できて、「こういう工夫は効果あるし、大体これくらいで抜ける」など、わりに冷静に受け止めてやり過ごすことができることだと思う。

 

日中は、おっちんとリビングの大掃除&レイアウト変えをした。ずいぶんすっきりしていい気持ち。気合いの入った掃除は、気持ちを入れ替えてくれる。

ものを分類し、不要なものを処分し、あるべきものをあるべき場所に粛々とおさめていく。埃をぞうきんでぬぐう。掃除機をかける。水洗いをする。日に当てて干す。

 

今日は花粉があまり飛んでいないそうなので、寝室の空気も入れ替えることができて良かった。毎日窓を開け放ちたいほうだから、だんなさんの花粉症があるから部屋を閉め切っているのがとても気持ちが悪くって。

 

そして今日は、子どもたちには悪いんだけど、役員仕事をサボタージュすることに決め、だんなさんは打ち合わせで都内に出て行ったので、今日の夕方はひとり家でのんびりしている。基本、当日ドタキャンはあまりしないようにしているが、今日はあの苦手な「おかーさん社会」に接するのはかんべんしてー、という気持ち。

 

ひとりひとりの人は皆普通に良い人なんだけど、おかーさんたちって、グループで任務を与えられた途端、なんでああいう雰囲気になるんじゃろう。ものすごく役割感が前に出て来て、あんまり大したことないことを大ごとみたいに深刻に取り扱ったり、「どんだけ気がきくか合戦」みたくなったり、上辺っぽい会話とかも、何もかもがつくづく合わないなあと感じる。

大抵黙って気を遣ってにこにこそこにいるだけだけど、いつもどーっと疲れる。子どものためとはいえ、しんどいなあと時々くじけそうになる。

 

おかーさんであろうとなかろうと、「自分はちゃんとした良識を持った、正しい人だ」という変な自信を持っている人って怖く思う。

彼らの常識から外れていると認定されてしまうと、すごく自信をもって裁く。「自分もそういうとこあるかも」とか「そんなこと言えた義理でもないし」っていう躊躇がないみたいに見える。

 

いつでも自分側が正しく、疑ったり省みたりすることをしないので、考え方の違う人とぶつかっても、「あの人頭おかしいよね」「絶対おかしいと思う」とその人のいない所でお互いに言い合って満足している。そういう人ほど、その人の前では思っていることを意見しない。

 

 

そういう悪口には加担したくないし、自分もその場にいないときにこういう風に言われているんだろうなあ、怖いよう、としか思えない・・・。

 

できれば今後も、損したり立場が悪くなっても、いじめられたり悪口を言われている人の側につくという基本姿勢はこれからも維持していきたい。っていうかそうしか気持ち悪くってできん。