続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

父ワールド

子どもたちがオケへ行って、これからひととき静かな時間。

ちょっとのんびりして、夕飯を作り(カリフラワーのポタージュ、コールスローは決定。主菜の肉か魚料理は、後でスーパーへ行ってから考える)、お風呂掃除しつつお風呂にゆっくり入ろう。

 

このところ、しょっちゅう実家の母親や妹と電話をしている。

先週父が脊椎の手術を受けて、大学病院に入院中のため、母と妹は病院通いで忙しい。

父の体調も認知の症状も、術後すぐということもあり、大変なとき。今自分にできるのはお金のサポートと話を聞くことぐらいだから。

 

とはいえ、我が家の家風は深刻な雰囲気を嫌うから、ため息はまあ出てはしまうんだけど、それでもしょっちゅうギャハギャハ笑いながら喋っている。

父の幻覚話はいつも大変シュールで、聞いていて飽きない。

死んだじいちゃんばあちゃんの時もそういうことがあったが、人はみな、昔の楽しかった時代に、半分夢を見ているみたいに戻るものなんだろうか。父の場合、それは少年時代のよう。

私は、どんな時代に戻るんだろうな。良い思い出は、その人を一生温め続けてくれるものなのだなあと思う。

 

こないだ、父は食事介助に訪れた妹のことがしばらく思い出せなかったみたいで、「わたし。誰だか分かるー?」と妹が聞くと、「ああ、めーちゃん(母の呼び名)でないことは分かる」と答えたという。両親は子どもから見て特に仲の良い夫婦ではなかったと思うんだけど、なんかちょっとじーんとするものがある。

 

認知症の代表的な妄想に「嫉妬妄想」と呼ばれるものがある。父も母が留守にすると

妹に「めーちゃんは男と会っとんや」などと言っている。

また、「めーちゃんはお寺で洗脳されとるんや」などとも言う。

 

妹は「もう!ほんまキモいねんで!」と私にしょっちゅう元気に愚痴ってくる。

そして、「あんなカズレーザーみたいな真っ赤なジャージ着てる太ったおばあはんやねんで!ないやろ?」とまともに父を説得しにかかる。

すると父は「いや、出かける時は赤のズボンちゃうかった」

「じゃあ何なん?」「うす紫のズボンやった」「もっとないやろ!」

私も「まじで!?うす紫のズボンってごっついな!」などと言って、ふたりでしばし爆笑する。

 

でも、同時に父の不安が手に取るように伝わる。それは、翻訳すると、

「自分がどんどんだめになってしまって、見捨てられてしまうのではないか。お医者さんや介護関係者の意見に母が従って、もう自分の意思で自分の望むように暮らせないようになってしまうのではないか」

という不安のメタファーなのだろうと感じる。

表面に見えている卑近な表現にとらわれずに、このことが何を意味しているんだろうと考えると、父の心の動きが少しだけ理解できるような気がする。

 

その上で、人の精神は果てしなく奥深く、どうにも理解不能なゾーンを含んで父なりのワールドが広がっていて、私たちは「なるようにしかならんなあ」と見守るのみだ。

 

春休みに帰省するまであと2週間。