続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

裁量労働制のこと

寒いけれど、明るく晴れた土曜日の朝。

子どもたちにせがまれ、朝からパンケーキをたくさん焼く。

いつもの山盛りのレタスのサラダと一緒に美味しくいただき、お腹いっぱい、いい気分。

今日は、みんなの意見が揃えば、久しぶりに家族で御殿場までお墓参りに行く予定。

 

 

ところで、最近のニュースは、ほとんどオリンピック一色だけれど(ほとほとうんざり気味)、合間に「裁量労働制」に関連するニュースが。

 

もうどれくらい前からになるだろう。10年以上にはなると思うけれど、ある時期から、自分の夫が出世するということが少しも喜ばしくない、あるいは、むりやり出世させられそうなのをなんとか食い止めているけど、いつまで持つか・・・といった話を奥さんである友だちからたびたび聞かされるようになった。

 

最初はびっくりした。出世って、自分の裁量もお給料も増えて、喜ばしいことなんじゃないの?って。

でも、よくよく話を聞くと、仕事内容の変化など、個別の事情もさることながら、共通するのが、給与体系が年俸制などに変わり、要はどれだけ働いても働いた分の残業代がもらえなくなるという契約に変わる。責任だけは重くなる。そういうことのようだった。

 

それでなくても、これまで低いお給料で、たくさん残業をして残業代を上積みすることで、なんとかまともな額にまで持って行っていたので、その分が見込めなくなると、収入は明らかに減ってしまうのだと言う。

会社で頑張って働いて、偉くなるのがモチベーションになるどころか、逆なんてことがあるんだ。そう驚いたものだった。でも、いつの間にかそういう話にも慣れっこになってしまっていた。

 

今回のことが通ってしまったら、今後管理職以外にもこういう人が増えて行くと思われる。

 自分自身、整理する意味も含めて改めて書くと、そもそも裁量労働制とは、業務の進め方において、労働者に裁量権がある働き方のこと。

労働者に大きな裁量がないとやりようがない仕事、たとえば理系の研究職とか企画職みたいな人たちの働き方。

 でも、今後拡大されようとしているのは、労働者に裁量権がない裁量労働制

 

どんなに仕事が終わらなくっても、その仕事をあなたの裁量で期日までに終わらせるのが、あなたの責任です、という、すごく悪質なトリックが横行するであろうということがはじめから見えている。多くの記事で書かれているとおり、「定額働かせ放題」。

 

フレックス制やワーキングシェアのような、個々の会社で融通を利かせれば済むようなことに、わざわざこのような論理を持ち出して、あたかも労働者側の自由が拡大するような言い方を政府はしているけれど、こんなことで本当に恩恵を受けられる労働者なんて、ほぼいないと思う。

 

遅く出勤したり、早く帰ったりすることは、別に裁量労働制でなくても、現行の法律で全然問題なくできる。

裁量労働制にしないといけないのは、多く残業したのを、定時勤務でしたとみなす場合「だけ」。

それゆえ彼らが何をしたいのかは残念ながら、明らかだ。

 ぐはー、あったまくるなあ。

 

そんな、ほとんどの働く一般人にとっての悪法であるこの法案について、コラムニストの小田嶋隆さんが興味深い洞察をしている。

どうして生活者の暮らしが良くならないどころか、むしろ悪くするようなことを繰り返す人たちを為政者に我々は選ぶのか?

business.nikkeibp.co.jp

 

時々ムキー!と怒りたくなってしまう。悪いニュースがしじゅう流れ込んで来る。素朴になんで?と思う事がいろいろありすぎる世の中や、想像以上に意識の隔たりを感じる他者に対して、不安を感じる事がある。

でも昨夜、カーリング女子の試合を見ながらだんなさんと話していて、現状をもっと善くしたいと思うなら、動機はネガティブな気持ちじゃなくて、楽しもう!でないと意味がないなと教えてもらった。

 

「怒りは自分に盛る毒である」(ホピ族のことば)

思えば、やるべきことはたくさんあるし、お楽しみもいっぱいだ。ネガティブの渦にへんに巻き込まれぬようにし、さっさと気持ちを切り替えよう〜。