続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

小室さんのニュース

朝からおっちんは天気予報にわくわく。

今、予報通り雪が降ってきました。ほぼ初雪かな?

ふわふわと、積もらなそうな雪である。

しんしんと冷え込むのは嫌なんだけれど、ゆらぎながら音もなく降る雪を窓越しに見ていると、なんだか心が柔らかくほどけるような心持ちになるのが不思議。

 

また仕事でひと山あって、週末も結構かかりきりだった。とりあえずえっこらしょ、と乗り越えたところ。

えいやっと送信ボタンを押すと、きもちスカッとするなあ。きもち程度、なんだけど。

 

今日は、あとは単発で受けた箱根の旅記事をゆるゆるとやるくらい。自転車が漕げればピラティスへ行きたいなー。

 

 

洗濯物を畳みながら小室哲哉引退のニュースを見る。ここ2、3日、テレビもネットもホットだなあ。

私はといえば、そもそも昔も今も小室さんに特別興味があったことがないということもあり、ニュースが出た時は「はーまた不倫。大事なことを報じずに、次から次に。一体、誰がこれ喜ぶんやろう」という感想のみ。

 

で、夜の10時のニュースがトップニュースで小室さん会見を報じていて、着替えのパジャマを抱えたままなんとなく見入る。

そうしたら、人生に疲れ切って体調もすぐれずぺしゃんこになって、もう別にどう思われてもいいし、分かってもらえるともあんまり思わないが、仕事関係各所への責任を果たすためにもそこそこ説明しなければな、という風情で自分のことを淡々と喋っている、青白い顔のかつての人気者がそこにいた。

 

 

その会見に呼応するようにして、他の不倫芸能人・政治家の際には見られなかった多様な意見が出てきた。

この一連のことは、複数の要素というか層を持っているので、自分も含め、「自分がこのニュースをどのように捉えて、小室さんに対してどう感じているか」を通じて、「あんまり見たくもないし、知りたくもなかった自分の姿を思わぬ形で突きつけられている現象」があちこちで不可避的に起きている。

 

昨日も今日も、このニュースに関してキャスターとコメンテーターがぶつかって折り合いがつかなかったり、いつも自分の意見を言う立ち位置にない役回りの人が(アシスタントの若い女性キャスターなんか)「ちょっといいですか」と勇気を出して喋っていたり、それをおじさんがけんもほろろに論破しにかかったりするのを見かけた。

 

いかにも突っ込みようがない、もっともらしいことを言うばかりのお決まりの予定調和が機能しておらず、いろんな人が「ん」と一拍考え込みつつ、心許なそうに話している。

 

自分たちが正義をふりかざして他人を安易に裁いてきた「何様さ」

そのくせ思い切った行動を起こした人に対しては何もそこまでしなくてもと思う「無責任さ」

その人が強気で気に食わない人だったら懲らしめていいし、誰から見ても気の毒な人なら戦意をなくし優しい言葉をかける。「優劣意識による選別感」と「偽善」

自分にはできもしない、到底耐えられないようなことも、他人には正義・常識・責任の名の下に、それができていなければ、責め立てる「想像力の欠けた冷たさ」

あるいは、関係ないのに安易に乗っかる「軽薄さ」

人の転落をいい気味と思う「復讐心」

その心が満たされればいくらでも優しいことを言える「節操のなさ」

 

・・・・そんなさまざまな、そして誰にもある人間の醜い部分。

顔の見えない「世間」というものが、いかに気軽な気持ちで、フラストレーションのはけぐちのようにして、いろいろな人を地獄に突き落とすみたいなことを、懲りもせずに、何度も何度も何度も繰り返しているのか。しかも「正しい事をしている」ような気持ちでさえいる。そこに深い考えもないままに自分が同調・加担している部分があるのが、今の世の中だ。そんな苦い事実に、思いがけずはたと気付かされて、みな慌てているのだ。

 

たいがいの謝罪会見というやつは、これ以上責められないよう、なんとか自分の身を守るよう、各々がいろんな思惑を持ってやるものだ。

それ以上突っ込めないようにひたすら頭を下げまくったり、おいおい泣く人も多い。見る側も、そういう思惑をどこかクールに見抜いて「はいはい」と思った上で、この人は気に食う、食わぬ、と表面的な判定を下す。

神対応」みたいな言い回しも同じ事だ。

 

けれど、小室さんはもう、「自分はこんな状況にあってこう考えている、だからいろいろ中途半端を放り出して、今日でみんな打ち止めにします。ごめんなさい」ということだけで。わりに「皆好きなように思うのだろうし、それで別にいいです」というあきらめの感じが強かったように、少なくとも私には見えた。

 

 

ちなみに夕飯時の雑談で、我が家ははこんな感じだった。

「小室さんという人の事よく知らないし、全然何の思いもないけれど、どうして彼だけがこんなに同情されるのか。これまでの責められて来た多くの人たちと、何が違うのか。これまでの多くの不倫した人たちだって、他人がそんなに罰して良いはずはないよね」(だんなさん)

 

「うそや、真実でないニュースをたくさん流して、それでたくさんの人の人生が狂わされているのに、文春は一言も謝らず、嘘を訂正もしない、誰も文春に謝れって言わない。それっておかしくないの?」(おっちん)

 

「・・・・(にこにこ、この豚キムチおいしいなあー)」(ゆうた)

 

「本当のことは、当事者にしか分からない。人には他人が知りえない事情の積み重ねがあって、その事が起こっていること、自分がなんにも知らない単なる部外者だということ、いつも忘れないように注意しないと。

でも、関係ない有名人に対して、この人は感じがいい悪いって、簡単にジャッジすることを気がつけば自分はしょっちゅうやっている。

自分は軽薄で当てにならない。簡単に流される。せめてけちになったり、他の人に変に厳しくならないために、自分が普段からハッピーで悔いないようにしておかないと。」(わたし)

 

 

ツイッターで、くるりの岸田さんが、

「ぼくの好きな小室さんの歌、とても選べないや」といいながら、スペシャル、2番目くらい、3番目くらいと好きな歌を紹介していて、優しいなあと思って。

楽家にとっては何よりの励ましだろう。

自分がどう思うとかじゃなく、同じ音楽家として少しでも励ましたいという思い。

「ひどいと思う」「がんばってください」みたいのより、そいうのが粋だよねえ。