続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

年明け早々

先を予測して考えられないから、まあだいじょぶだろうとたかをくくっていたら、正月明けてからずっと仕事に右往左往の日々を過ごしています。

中でも、広告代理店が間にふたつも挟まっている企業タイアップの案件では、飛び交う業界用語についていけず、頭がしくしくと痛んでおります。

 

あのさあ、小池都知事じゃないんだから、ふつうに日本語でゆおうよ・・・。「インタラクティブ」「リブース」「レスポンシブ」「リッチ化」「アサイン」とか。

代理店用語もよう分からん。「定性データ」だの「システム吐き出し」だのさあ!

 

ここまで向いてない世界がばりばりに繰り広げられる案件との認識が足らず、あーん断れば良かったー、とため息。

飛び交うメールの中でやりとりされる日本語の意味が普通に分からなく、脳内がしょっちゅうフリーズするので、自分はほとほと頭が悪いんではないかと思えてくる。

違う世界に住んでいるってこういうことよね、と久々に実感。

 

しょうがないので、短期決戦の今回はなんとかガッツで乗り切るが、今後は大きな代理店がからむ仕事はお金が良くてももう受けない。特にこういう類いのディレクションはおいらには無理だ。1ミリの興味も共感もないから、こじつけてひねり出すにも限度がある。

ないものはないのだ。

 

普段テレビCMも見ないくらいに、コマーシャリズムに無関心/懐疑的なのに、しっかり企業広告の片棒担いでいるなんて、なんとも狡いことだ。

それで結局、内心「この人たち、何をやっきになっているんだろう」みたいな温度差で関わっている。中途半端な自分を恥じ、申し訳ないと感じる。

残りの時間は、自分のだめさを自覚して、具体的に少しでも役に立つ事、迷惑はもちろん周囲の人の余計な負担を増やさないよう、言葉少なに粛々とやることを心がけよう。

 

それでも、フリーランスは自分の時間をどうとでも挟み込めるのが救いだな。

ひとつところに拘束されていないってすばらしい。

昨日もだんなさん、仕事部屋のアームチェアに深々と座って「さきほどは電車に乗っていて電話が取れなくてすみませんでした」と言い切っとった(笑)。

 

今日もこの後ヨガの2時間だけはしっかり死守だ。

先日も今年最初のヨガに行き、帰省の疲れも取れてとっても良かった。

先生がレッスンの最後に、いつも締めのコメントを合掌しながら言うのだけど、年初めの一言は、

 

「今年も、自分の身体をよく観察し、自分なりのアーサナを深めていく。そんな一年にしていきましょう」

 

うーーん、そんな一年、素敵やわあ〜と思いつつ、私もしみじみと合掌して礼をした。

 

ま、こうして書くとつくづくよくあらわれているけれど、「おばさんになった自分のずぶといことよの」となんとも笑える感じであることだ。