続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

家電たち

明日から学校、今日は冬休み最後の日。

今日はのんびり整える一日。これから雨が降るようだから、しんと落ち着いて過ごしたい。

とは言っても、わなわな・ハイパーな子どもたちがいるのでそうもいかない。

 

明日からは仕事をまとめてやっつけなくちゃ。

電話をするところがたくさんあるし、書きたいし。

 

仕事と同時に、実家の父関連のもろもろのこともあるなあ。ふうー。

少し離れて、ほんのしばし現実を忘れたい感はあるので、今日は役所も何もお休みなので、もう考えない。

今回の帰省では、母以上に父についていろいろ思うところがあったけれど、また落ち着いたら改めて書き残しておきたい。

 

今日は久々に朝ご飯にパンケーキを焼いて、豊かな気持ちに。

食材が底をついて来たので、午後はお買い物へ行く。灯油ももう空っぽだ。外は寒いだろうなあ〜

温かくして過ごしていたら、体調もどんどん良くなってきていい感じだ。

 

帰省から戻って来たら、食洗機が故障していた。

昨年から我が家の家電周りは故障続き。車、冷蔵庫、エアコンなどなど。

私は無頓着だから、「はーしょうがないね、なきゃないで」か、「新しいの買おっか!」の二択のみ。

だんなさんは、取説引っぱり出して来て読み込んだり、カスタマーセンターに問い合わせて修理の見積りを取ったり、インターネットで関連記事を探して自力で修理を試みたり、ホームセンターへ部品を買いに行ったりする。

面倒くさいのにようやるなあ、といつも感心する。

 

私は全くそういうのやる気がなく、時間を使いたくない。かなりすぐ諦める。紛失したものとかも、わりとすぐ諦めてしまう。

そんなだけど、あまりに無関心・丸投げだと時々ムカッとされるので、関心のある振りをするくらいがせいぜいだ。

 

そして食洗機は、「なきゃないでオーケー」グループだな。

前々から、なんで食洗機ってこんなに時間がかかるんじゃろうと思っていたし、洗い上がりが汚くてやり直すことも多く、結局手洗いしなおしたりで、なんだかなあと思っていたのだった。でもあると使っちゃう。

 

知人でだんなさんが電機メーカーの技術職の人がいて、食洗機も作ってらしたらしい。その人をして「食洗機は無駄で非効率だから必要ない」と言い切り、彼女んちは新居を建てる際には食洗機を導入していなかったからなあ。

ちなみに我が家は中古なので、元々ついていた。

 

「これを機に、いっそ食洗機なくして収納スペースに変えては」と提案しておいた。

うちにはすでに電子レンジも炊飯器もホットプレートもない。

 

実家の台所の大片付けの時、いわゆる白物家電の多さに驚いた。「それにしか使えない」使用範囲の狭い、スペースを取る家電がいっぱいしまい込まれている。

 

ゆでたまご機」「アイスクラッシャー」「かつおぶし削り機」「魚焼き器」「ポップアップトースター」「精米機」2台「ホットサンドメーカー」「かき氷器」「ヒートシーラー」などなどなど。

結局使う段になると出したりしまったりコンセントを入れたりが面倒くさく、鍋や包丁を使って作っている始末だ。

 

だんなさんの実家でも、各部屋に空気清浄機と暖房器具、イオン精水器や電気ポットといったものがたくさんあった。

 

団塊の世代にとっては、最新鋭の白物家電て豊かさの象徴なのだろうなと思う。それらのもののスペースが生活空間を狭めて住みにくくしてしまっているよって、若い世代はつい思うんだけれど。

 

しかし実家では妹とふたりしてがんがん捨てたこと、ちょっと反省している。

狭かろうが、汚かろうが、使えなかろうが、捨てたくないものを無理に捨てるのは心が痛むことだもの。

ものを手放す判断をするのは、しんどいことだ。

ものに囲まれて暮らすより、すっきりミニマムに暮らすほうが上だと、決めてかかっているよなあ。

 

そんな私に対して、こだわりなく「ありがとう」と言った父は、もう身の回りのほとんどに何の執着もないし、何一つあの世には持っていけないのだということを身近に、深く悟っている人のように見えた。ちょっと黙ってしまうくらいのかんじがあった。

 

ほんとうに、私たちは体ひとつで、何一つ持たずに死んでゆくんだな。

今回すごく思ったけれど、親は死にゆく姿をただ見せることでたくさんのことを伝えてくれるものだなと思う。