続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

封印された記憶

冬らしく、きりりと寒い冬の朝。

だんなさんを駅まで送って、今はひとり。

おっちんの給食が昨日までで終わっているので、昼までのひととき、しんとした時間を楽しもう。

 

とはいえ、やる気は出ない。

ここ数日、笑っていても他のことをしていても、頭に靄のような重しがずうんと載っていて、晴れない。普通に暮らしながらも、憂鬱の中で踏ん張るような毎日を過ごしている。

 

数日前、実家の母と妹から、父の病状について知らされる。

重いパーキンソン病を患っている父は、多くのパーキンソン患者がそうであるように、レビー小体型認知症を併発した。一週間前に話した時とは、天と地ほど状況が異なる。今、かなり急性的な状況にあって、この年末に帰省できないかと思ったものの、今週末は予定が入っており、いずれにしても年始には帰省する予定だったので、今は遠く離れた場所から気を揉んでいるのみだ。

 

耳を塞ぎたくなるような妄想と暴言の数々、笑い話にするしかないようなシュールな展開に、とほほと笑い合いながらも、「この状況では遠からず母も共倒れになってしまうな」と確信する。

実家近所に住んでいる妹には普段から甘えっぱなしだけれど、1時間留守番を頼まれただけで、あまりの耐え難さに別室から電話をかけて来て、私はただただ話を聞くのみだ。

 

 

昨夜、高橋源一郎さんが答える、毎日新聞の人生相談(すごく面白い)をネットで読んでいた。その中にこんな相談があった。

高齢の父が施設に入所するのを機に母が片付けものをしていて、父の複数の不貞を知ってしまった。母(70代後半)は父に暴力をふるったり、相手を突き止めようとしたり、一日中恨みごとを考えている。あまりの暴走に、周囲の人々も皆近寄らなくなってしまった。娘として母にどう接すればいいのか」(2016年1月23日付)

 

それに対する源一郎さんの答えがすごく今の自分に沁みた。

備忘録として書き留めておく。

 

「私の父はギャンブル依存で嘘つきで浮気性でした。心底嫌いで、死んだ時も悲しくとも何ともなかった。

その後十数年が経ったある日、自分の幼い息子の歯を磨いているとき、ふと見た鏡の中に父がいました。それは、幽霊ではなくて、いつの間にか父そっくりになっていた私でした。

その瞬間、ずっと忘れていた父との間の優しい思い出が出し抜けに蘇りました。良くしてもらったこと、大事にしてもらったこと。

私は不快な記憶だけを覚えていて、良い思い出の記憶を封印していたことに気付きました。

 

あなたのお母様は、今ではもう、感情のみで動く子供のような世界に入ってしまわれたのでしょう。人はみな、最後にはそんな世界に戻って行くのかもしれません。

けれど、かつてのお母様があなたを慈しみ育ててくれたことを忘れてはいけないように思います。お母様自身がそれを忘れてしまったとしても。そして、そんなお母様の姿は、未来のあなたの姿かもしれない。

 

子どもにとって最後の仕事は、子どもに戻った自分の親に対して、その親になることのような気がします。子どもがどんなにばかなことをしても、親は決して嫌いになったりしないでしょう?だから、嫌わないであげてください。お母様は、もうあなたにとって、子どもなんですから。」

 

 

たまたま昨日、この文章に出会ったということに何かしらの意味を感じる。

自分も、父親をお世辞にも好きとは言えない人間だ。気分屋で、暴力も振るう父だったし、言うことに一貫性がなく、軽薄で、三日坊主で。妹も母も、今最高潮に彼にうんざりしている。

 

けれど、私の中にもきっと、封印している記憶があるということを、心に留めておく必要がある。

来年は、月一で帰省する心づもりもすでにだんなさんには伝えたし、父絡みでいろんなことが起こる年になるだろう。

「とにかくもう、なるようにしかならへん」と母は言う。

確かに。そんな怒濤の日々の中でも、このことを忘れないようにいたいと思っている。