続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「わたしはダニエル・ブレイク」

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ケン・ローチ監督、2016年・イギリス作品。100分。

イギリスジョン・カーニーの一連の作品や(アメリカ人だけど)テリー・ギリアムや、「トレインスポッティング」「ブラス!」など好きな映画もあるのだけど、自分の中でイギリス映画って、そんなに熱心に見て来なかったというか、なんとなく遠ざけて来た存在である。

その「なんとなく」をあんまり考えてみたことがなかったのだけど、この映画を見てなるほどと思った。

イギリス社会の空気感は、日本にげんなりするくらい日本によく似ている。

 

弱者切り捨てはあからさまでも個人主義は許さず、個人の自由をすごく抑圧する。もはや本末転倒な域に達していても「システム」を疑わず、システムに隅々まで支配されているかんじ。また、人を従わせるために、「何でも基本懲罰」という姿勢の社会であるというというところなど、よく共通している。

 

人々の勤勉さや独特の垢抜けないまじめ感、地味な優しさ、ひとりひとりの個性が際立っておらず均質的な感じなども日本人を思わせ、なんともグレーな、ため息が出るような気分にさせられるのが、イギリスの労働者的世界。

自分が一番大事にしたいと思っていることは自由であり、自分はアリとキリギリスだったら、完全にキリギリスなんだけれど、日本やイギリスのマジョリティーはあくまでまじめなアリさんたちなのだ。

 

この作品のようにはっきりと社会観を打ち出して来る映画でなくとも、通奏低音のように「まじめで・きゅうくつで・ぎゅーっと頭を押し込められている」特有のムードがイギリスの映画には漂っているものが多くあって、なんとも「ぱっとしない」気分にさせられるというか、だからあんまり気乗りがしなかったんだね私、と改めて腑に落ちる。

 

まあ、ジョージ・オーウェルの「1984年」からしてイギリスの小説なのだから、そんなことは自明のことではあります。

 

見ていて「うわー、これなあ」と思う感覚は、さまざまな他の国のドキュメンタリーや社会派の映画とは一線を画す、げんなりするほどの「あるある感」である。

非常にストレートにリアリティーを持って「この社会における弱者の暮らし」を見つめており、身につまされる。この作品はもはや日本においても社会学的資料と言ってよいくらいのものだ。

 

しかし、立派なのは映画として堂々たる味わいをもった作品になっているところ。

ひとりひとりの人間をきちんと掘り下げて描き、みじめな中にもぽっと光の灯るような、ささやかな美しさが散りばめられている。

何よりも、一番言いたい事は恨み言ではなくって、

「人間としてこうありたい」という力強く温かなリスペクトの思いであり、まっすぐで気高い人間の姿だった。

 

0.5ミリ」(安藤桃子監督)を見た時も思ったけれど、ものごとを上から解釈するのではなくって、大事なのは、何を見つめているか、何に価値を見出しているかなのだ。

何の華やかさもなく、一見取るに足らない平凡なものであり、気分も上がらないからあんまり見たくないし、気にも止めない、重要と思わない。

そういう所をぐっと目を凝らして、愛のあるまなざしで見つめている、素晴らしい映画監督がいるということに値打ちがある。

 

映画を観終わってしばし、社会の片隅で、人目をひくような大きな出来事もなく生き、やがて老いて病んで一人で死んでいった、世界中のダニエル・ブレイク、人間一人の命の持つ重みというものに為すすべもなく打ちのめされるような思いになる。

 

この80才の映画監督は、おそらく人生最後くらいになるであろうこの作品で、「人間の尊厳というものは何よりも大事にされなければならない」ということを、静かに、しかし揺るがない強さを持ってまっすぐに伝えている。私たち、後に続く者は、この大事な教えを胸にしっかり刻まなければ。

ああ、ほんとにケン・ローチは偉いなあ、偉い、と思った。