続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

公開セミナーの備忘録

昨日の高橋源一郎さんと森達也さんの公開セミナー、やっぱり面白かった。

 

普段多くの人が語っているところと違う場所にさーっと光を当ててくれ、とても実り多い時間だった。

子どもたちには難しかった部分もあったよう。

「そっかーごめんね、ちょっとまだ早かったかな。でもおかーさんはこの2人は大事な考えを持った人たちだと思っているから、そういう人のお話をふたりにも聞いてみてもらいたかったんだよね」とそこは素直に謝った。

 

日頃、何であれ子ども発信でやっていきたいという基本方針でやっているのだけど、今回は私があんまり分かっていない子どもたちを「絶対面白いから行ってみよう」と連れて行った形だったので。

それでも、特におっちんはいろいろと驚かされることがあったようで、きらきらした目で心に残ったことを帰りの車で話してくれた。

 

 

以下、昨日のお話の備忘録。

 

私はやっぱり、このところの自分の興味が、似た者同士で「わたしたちいいよね」って固まるのではなく、いかにでこぼこしたいろんな人たちと共存していくかということにあるので、そういうテーマに対する有意義なものの見方やヒントをいくつも得られたなと思う。

 

それには「自分を省みる」ことと、「なぜそのような状況に至ったのかについて思いを巡らす」ことが大事。もちろん。

広く深い知識を持った人の話を聞いたり本を読んだりすると、歴史も、生物学も、宇宙のことも、外国語も、あらゆる勉強とはみな、「生きていくうえで難しいさまざまな問題にぶち当たったときに、どうしてそういうことになっているのか」を知るための手がかりやからくりを知るためにあるのだなあといつも思う。思わぬ所で思わぬものがつながったときのわくわく感。昨日も何度かそんな瞬間があったな。

 

省みたり、物事の経緯から深く考えることは、いずれも、面倒くさく、苦痛を伴う作業だ。

誰だって、自分が正しいと思って生きていきたいのに、そんな自分を疑うことや、自分が嫌だなだめだなって思う考えや人、自分がなんらかの被害をこうむっている事案に対しての正当性を認めるというのは、不快な感情とのせめぎあいになるし、しんどいことだ。

 

源一郎さんや森さんのような優れた作家やクリエイターは、作品を作ることを通じてこうした内的作業を行っている。フィクション・ノンフィクションに関わらず、あらゆる多層的な物語には内省とごまかしのない本当の姿が描かれる。

 

まずは対象を肯定しないことには先には進めないのが作家の視点なんです、と源一郎さんは言っていた。

そして、そういう心のエネルギーを使う大変な作業における燃料になるのは、正義や使命感とかじゃなく、「好奇心」なんだなあとお二人の言葉の端々から感じる。

 

いろいろな職業の人に、取材の時に「若者に伝えたいメッセージは何か」と訊くと、

「興味と好奇心に従ってまっすぐ掘り進む事だ」と答える人が多分一番多い。

それが個人の幸せや、人生の充実に一番大事なことなんだと、みなさん良く分かっているのだと思う。

 

なのにどうしてか、それを一番にできないのが人生の難しいところだし、

好奇心や興味でいつもワクワクしている状態を維持するためには、心身が健やかでなくてはならないので、結局周囲の人と仲良く楽しくできていなかったり、ごはんや運動、家事をはじめとした日々の暮らしをおろそかにして調子が悪くなって好奇心が細ってしまっていては、元も子もないという話になるのだなあ。

 

可愛がっている植木やぬか床のように、世話をし続けることだ。あくまで無理なく、気楽なかんじで。しかし、ここぞというポイントにおいてはお腹にぐっと力が入っている気合いは必要であると思う。