続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

世界一のクリスマスツリープロジェクトについて思うこと

今日の仕事、完了〜。はーすっきり。

この後は家を整えて、夕方からは気持ち良くヨガへ行こう。

 

その前に、もやもやを吐き出す。気になっているニュースに対して思うこと。

 

私の生まれ故郷にほど近い神戸で、プラントハンターの西畠清順さんを中心に、今まさに開催されている「世界一のクリスマスツリープロジェクト」の成り行きを時折気にして見守っていた。

 

ごく控えめに言っても、ある種の人に強い嫌悪感を抱かせているという事実は否めないこのイベント。

 

奈良美智さんや、内田先生や、他にも私が普段からその言動にわりに信頼を置いている人たちが、少なからずこのイベントに嫌悪感を表明していたことも目を引いた。

 

そして、開催側には長年私が愛用しているほぼ日手帳を作り、数々の素晴らしい対話や気づきの多い文章をそのサイト上でシェアし続けて来てくれた糸井重里さんがいて、このような激しい攻撃を受けているという状況に複雑な思いを持って見ていた。

 

ちょっと興味を持って、有名無名の人々が何を語っているか、また西畠さんや糸井さんがどう答えているかについてひととおり目を通してみて、自分なりに感じたのは、

 

人々がこのイベントに向ける怒りや不快感は、社会に対するフラストレーションの転嫁によって過剰に増殖しているということだ。

そして自分自身にも、そのフラストレーションの種が巣食っていることを自覚している。

 

非難をする人々は、ひとつひとつの「これが嫌です、ここがだめです」というポイントを口を極めて丁寧に説明しており、もっともだと感じる事もあった。

正直に言って、根ごとごと引き抜かれた大木がクレーンで吊られている写真を見て「かがやけいのちの樹」と思う感性は自分にも持てなかったし。

 

しかし、いささかヒステリックに過ぎる。刃物のような言葉が飛び交う。

 

 

みんな資本主義やひどい政治の状況にほとほと疲れ、心が傷ついているのだと思う。

今の世の中は、プラットフォームを確立した少数の搾取者によって、誰もが多かれ少なかれ、上手いこと操られ、騙され、いいように利用されている。そういうことに対する怒りをぶつける先を塞がれているのが今の世の中だ。それは洗練のように見せかけた、巧妙なやりくちだ。

 

例えば。

アマゾンが日本に来た頃、ある時買い物で困って電話で問い合わせようとしたら、電話番号がどこにも表示されていなくてびっくりしたのを覚えている。自分たち側になにがしかの責任があると考えるのではなく、買った人が困っても知ったことではないし、本音を言えば諦めてくれればいいというあからさまな姿勢にすごくびっくりした。

 

携帯電話や、何かのソフトの解約も、どれだけHPとにらめっこしても、同じ所をぐるぐると閲覧させられるばかりで、いつまでも解約ができない。分かっていてそういう作りになっている、ネットに弱い人が諦めて、月々数百円を払い続けることを狙っているのだ、と人に教えられ、それもすごくびっくりした。

 

残念ながら私たちは、相当賢く、辛抱強く時間を割く覚悟をも持たない限り、対抗する有効な手段を持たない。お年寄りなんかはきっともう、やられどおしであろう。

「おもてなしの国」ニッポンという側面も持ちながら、そういう事に、否応なく慣れさせられているのも、今の世の中のありようだ。

 

だから、社会的なことに対する問題意識の高い人であっても、自分の頭で考える力を教育やメディアによって周到に奪われて来た一見「ノンポリ」な人々であっても、無意識の心の深い所で、踏みにじられていることを恨んでいるし、深く静かに怒っている。その怒りは変ないなされ方をされ続け、発露される機会を持たない。

 

なんだか軽い詐欺みたいな嫌なやりとりをくぐり抜けないことにはまともに買うこともできない携帯電話、その窓口の人も疲弊して表情を失っているのに、タックスへイヴンで税金を払わず夢を語る社長や。

小田和正の感動なメロディーに乗せて家族のかけがえのない写真を見せて涙を誘う保険会社のコマーシャルや。

20代の女の子がいじめ抜かれて自殺して、神妙な顔をして50万円の罰金を払う広告代理店や誰もがこうむっているあらゆるブラック労働や。

共謀罪じゃなくてテロ「等」準備罪だとか、書類はみんな捨てたとか。

弱者の切り捨てがどんどん加速していく流れとか。

あったことをなかったと言い募るヘイトスピーチとか。

意識のない女性がホテルに引きずられて連れ込まれる証拠の映像があっても、犯人が逮捕されない強姦事件も。

 

今、「何がどの程度悪いことか」という基準がもうめちゃくちゃで苦しいくらいだ。

 

そして(このイベントがそうだということではなく)、結局はお金を儲けたいだけなのに、耳ざわりの良いストーリーや、おしゃれでスマートなデザインや、「感動」なんかを都合良く動員して語ることや、本当のことを隠してもっともらしい(時に見え見でもは構わない感すら漂う)理屈をこねられる事例の余りの多さに、もうほんっとにええ加減にせいよ、と皆が思っているということのあらわれなんだと思う。

 

だから、直接言える先が見つかったら、ことの大小の感覚を超えて、怒りの矛先が一斉に向かってしまう。

 

本当の本当に言いたい先はきっと別にあるのに・・・。

 

 

だから、西畠さんがHPで語っていた丁寧な説明は、残念ながらあまり効果はないだろう。それがどれだけ正しくても、事実を語っていたとしても。

 

「あなたの存在自体の罪深さにも気付いて下さい」

「事実はこうなんです、お金儲けじゃないんです」

いくら丁寧な言葉で書かれていても、自分を省みて考えを改めてほしい、社会に対して問題提起をしたんだという上からのサジェスチョンは、怒れる人々には届かない。

それは正しさとは本当に関係がないのだ。

 

だからって、不倫した芸能人のように、泣いて平謝りするのが正しいとも全然思えない。ピンボールのようにはね返りながら増殖した悪意を、私たちはどう扱えばいいんだろう?本当に難しい。

 

 

今日の夕方から、糸井さんと西畠さんが現地で対談するという。糸井さんがどういう話をするか、聞いてみたかったな。

 

今の私に分かるのは、まずは社会に渦巻くこのやるせない怒りを適切に鎮めないことには、対象を変えて同じことが断続的に繰り返されるのだろうということだけ。