続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

クレーム

今日から1週間はだんなさん怒濤の日々なので、役割分担をきっちりやってスムーズに家を回すことを大切に。

 

とはいえ、昨日、随分前に書いた記事にクレーム(記事の内容でなく、サイトのフォーマットの問題)がついて、朝からやりとりでばたばた。仕事が始められやしない。私も平謝りで、申し訳なさと腹立たしさで落ち着かない気持ち。

 

大元の某大企業の編集担当者の、取材先に対するリスペクトのなさは以前からほんとにどうよと思っていて、そのうちしっぺ返しが来るであろうと思っていたが、自分の記事でとばっちりだ。まったくもう、だ。

 

誠意を持ってインタビューをして、相手に喜んでもらえるようにと思ってまじめに記事を書いても、大企業は、インタビュイーをコンテンツを形成する道具のように見ている。道具じゃなくて、生きた人間だのに。

 

口先はいかにも賢そうに慇懃に喋るのだけど、失敬さは透けて見える。

そうしたことがあらわれて取材先に伝わる結果になってしまったことがとても残念。

 

私は取材の最初から何度も念押ししていた。相手にとっては軽んじてはいけない重要なポイントだったのに、結局「ま、それもこれも同じようなもんでしょ」と扱った。

 

大きな企業の人たちは、内側を向いて仕事をしている人が多い。「何のために、誰のためにこの仕事があるのか」ということが、気がついたら二の次になってしまう。それは個々人がことさら保身的であったり、邪悪であったりということではなくって、忙しすぎることに加え、巨大で細分化されたシステム・減点主義的な企業文化のせいなんだろうとは思う。

 

大きな組織では、システムが細分化されており、個別対応で部署をまたいで、さまざまな変更や手間が生じることはめんどくさく、ひとつひとつ丁寧にやってられないという気持ちになる。手間を惜しみたくなる。

相手が自分よりも大きな組織体だったら大慌てで対応するが、相手が小さな事務所であったり個人であればあなどり、相手が多少不満に思おうが見て見ぬ振り、それが一番楽で効率的だとつい思ってしまうんだろう。

間に人が入るぶんだけ、本来的な「取材に協力してくれた人への感謝の気持ち」は薄れていく。

 

ましてや何もなければ、社内的に自分にペナルティーが生じることもないが、何かあれば要らぬアテンションやリスクを背負うことになる。出世のためにも「ないことが一番いい」。

 

現在、国会で起こっていることもおんなじことだ。皆、仕事を始めた時には、夢や思いがあったんだろうと思う。けれど、硬直的な組織やシステムにどっぷりと漬かるうちに、いつの間にか魂を奪われてしまったのだろうなあ。

 

人ごとではない。自分も企業人だったことがあったから、会社に属している時のあの視野の狭い感覚、何が良くて何が悪いかについての人間らしい感覚が鈍って行くあの感じというのはよく分かる。下手に真面目で「こんなもんだ」と受け入れて文句もいわず働くタイプの社員だったから。

 

働き過ぎで身体を壊して、「やーめた」と全て放り出すみたいにして急に辞めて、旅人生に入ったら、目が覚めるみたいに正気に戻って行った。危ないところだった。

 

 

今では、仕事の上で本末転倒みたいな事例を見たり、フリーランスの自分自身が軽く踏みにじられるような対応をされたりするにつけ、腹が立つよりも「この人は何が楽しくてこの仕事をしているんだろう」と不思議な気持ちになる。

 

せっかく目の前にある面白いものや豊かなもの、出会いや学びをあんまり感じられなくて、眉間に皺を寄せて、「そそうのないこと」を目指して汲々としている。

いくら見た目を和やかに、賢そうに、上品そうにしていても、体よく搾取することしか見ていない、あの感じ。

それが効率的で、スマートなことだとはき違えているあの感じ・・・。

 

そういう人々を、今ではすごく冷静に観察している自分がいる。

 

自分では何も作り出さず、間を抜いて搾取することを生業とし、人としての良いこと悪いことを自分の頭で考え守ることをせず、いつしか大きな組織と自分の存在を同一視する。それをかさに来てえばったり、人を見下していたりする。

そうじゃない人も、もちろんたくさんいるんだけれど。そういう広告代理店みたいな生き方は、たしかに儲かったり得をするのかも知れないが、深い喜びや感動、自分自身に対する誇りや深い満足からは遠い生き方に思える。

 

そういう人種が「スマートでお洒落でイケてる人」という体でメディアで紹介されてそれらしいことを喋っていたりすると、自分は、はへー、どうぞお好きにと思うだけだが、まだ考えの固まっていない若い世代には迷惑だなあ、と思う。

うちの子たちはじぇんじぇん心配していないが、「子どもたちよ、勘違いしてはだめだよ、地道に生きている身の回りの本当に素晴らしい人々をけして軽んじることなかれだぞよ」と思う。

 

自分は出来る限りシンプルにやるだけ。自分に悔いのないよう、今回みたいなことがあっても、自分は出来る限りの事は全部やっていると安心していられるように、できるだけ普段からやっておくだけ。それでも失敗後悔は尽きないんだもの。

 

さてと、お仕事。