続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

言葉のきれいさの重要性

そして今日の本題。

 

スマホユーザーになり、SNSにとりたてて熱心ではない私だけれど、それでも明らかにTwitterへのアクセスが増加している。

 

新聞を購読していない我が家では、テレビやネットでニュースを見ることになるわけだけれど、首をかしげたくなるような情報があまりに敷衍しているので、メーンストリームの情報をあまり真に受けず、ツイッターを入り口に、自分が個人的に信頼できる人・媒体・当事者・現地在住といった人々が発信する複数のばらけた、なおかつできるだけ一次情報を、自分なりに懐疑的な余地も持って取り入れているのがこのところの現状である。

 

そうしてツイッターなど眺める中で、最近たびたび考えさせられているのが、「言葉の汚さ」「言葉のきれいさ」についてだ。

 

「どういう風に言うか」は、ほんとに大きくものごとを左右する。

 

例えば、ヘイト的なことを口汚く罵るのは論外だけれど、それに抗して言う側の言葉、それに続く応酬というのは、人によってその印象が大きく異なる。

 

いくら正論であろうとも、意地悪な感性は良くないとつくづく思う。

言論人などは、社会の矢面に立って、見当違いの低レベルなものも含めて、日々多くの非難や攻撃を受けていると思うので、「いい加減にせいよ」「あんまりだろう」と思ってしまうのも人として無理からざるところだと思うのだけど(自分にはとても無理と思うもの)、上から目線の嫌みな返し、相手を正面から正論で追いつめる感じ、嫌みなジョークなどを目にすると、消耗感を感じる。

 

ていうか、「正論」なんて、鬼の首を取ったように言うような、たいしたことではないのだ、多分。

 

立憲民主の枝野さんを個人的に貶めようとして、デマニュースを拡散しているケースに対して、枝野さんが口汚く罵る相手にも敬意を持って、辛抱強く事実を冷静に語りかけている、そして相手の逃げ道を塞がない返答を見ると、心からほっとするものがある。

 

彼が表に出て来た最初から、言葉のきれいさが良いなと思っていたが、愛情を持ってきれいな言葉で語り続けることは、今なによりも大事なことに思える。

自分も省みなければならないと思う。

 

 

 

最後に泣けるほどすばらしい!と思ったスピーチをシェアします。

同性婚法案に関するある議員のスピーチ。ニュージーランド国会にて。

https://twitter.com/twitter/statuses/934357403851558912

 

 

「それでも反対なさる方の多くは常識的な方なんです。

法案が社会に何をもたらすのか、真剣に心配なさっている。

その懸念に敬意を表します。

この法案が通ると、ご自身の家族に何が起こるか心配なさっているのです。

 

だから、その方々のために繰り返させてください。

この法案で我々がやろうとしていることは、愛し合うふたりに結婚という手段を、認める。それだけです。

これが全てです。

 

核戦争をやろうって話じゃないんです。農作物を絶滅させるウイルスもばらまきません。

ただ、愛し合うふたりに結婚の手段を認めるだけです。

 

何か問題でしょうか?お金もかからないのに。なぜこの手段に反対なさるのかが分からない。

異質なものを遠ざけたいのはわかります。いいんです。われわれみんなそんなもんですよ。

 

でも、反対なさる方に、今ここでお約束します。けして反故にすることのない約束です。

(この法案が成立しても)明日からも太陽は昇ります。(議場笑い)明日からも生意気な娘さんに口答えされます。ローンの金利は上がりません。皮膚病や湿疹、布団からカエルが飛び出す事もありません。

明日からもただ毎日が続くんです。

 

だから、おおごとにするのはやめましょう。

この法案は当事者からすれば素晴らしいもの、残りの我々からすれば、昨日と同じ日々が続くだけです。

 

それから、届いた意見をもうひとつ紹介させてください。

同性婚法案のせいで干ばつが起こった」(議場爆笑)

でも、私のツイッターをご覧になった方はご存知だと思います。今朝は土砂降りだったんですよ!(笑い)

雨があがったら、大きな大きな虹、ゲイ・レインボーがかかりました。(議場歓声、拍手)

これは何かの良い報せではないでしょうか?あなたが信じるなら。きっと。

 

締めくくりに、それでも法案を懸念される方へ、聖書からの引用を。

申命記です。申命記はなかなか難解なのですが、まあそれはいいとして、

旧約聖書申命記1章29節。

おそるるなかれ。(大きな歓声と拍手)」

 

おじさん、ブラボー!!ひゅーひゅー!

この中には、美しいものがいっぱい詰まっている。想像力と敬意とユーモアと。

こういう風にものが言える、人として成熟した人に少しでも近づきたいものだと思う。

 

今、偏狭で過激なナショナリズムで世の中の憎しみが増幅しているように思えるけれど、そして簡単に解決できるような道はないのだろうけれど、まずは。まずは彼らに伝えるべきは、「怖がらなくていいよ、大丈夫だよ」という愛情のあるメッセージなのだろうと思う。