続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

高校の学園祭

朝から近くの農業高校の学園祭へ、ゆうたと友だち2人、おっちんも連れて行って来た。

 

今日連れて行ったゆうたの仲良しのうちのひとりは、田舎や自然や動物がとにかくずっと好きで、農業や酪農といった方面に進学することを望んでいる。

もうひとりの子は、ちょっと興味があるからついて来てみた、というかんじ。

ゆうたがどう思っているのかはよく分からないけれど、必要なことは、自分にとって必要な学びとは何かを考えること。

まだぼんやりしていて、はなはだ頼りないけれど、リミットは向こうから勝手にやってくる。ちょっと腰を据えて考えださねばならぬ。

 

 

最近読んだ橋本治のインタビューで、日本の教育について語っていた話がとても面白かったのだけど、それはこういう話。

 

「今や日本には、『使えない大学出』と『ヤンキー』しかいない。

 

本の学校は、小学校から大学まで、考える方向はこうでなくてはいけないと決められている。しかも、どれもこれも全部学ばなくてはいけない。

 

自分にとって本当に必要なものを自分で選別するというプロセスが完全に抜け落ちている。

 

だから学校に行って勉強ばかりしているとバカになるんです。あらかじめ選別された視野しか持たず、その他のものには見向きもしないのが、僕の言う『大学出』。

 

一方『ヤンキー』は、方向づいていない代わりに、狭く小さい自分の経験値の中でしか生きていない。雑多で豊かなものに囲まれていてもそれを知性に変えることができない。

人間は、自分の立場が保障されていれば、『何かが欠けている』って考える必要はない。ヤンキーは努力する。頑張れば成功者になれると信じている。でも、やっぱり何かは欠けているんですね。だから強くツッパらなきゃならない。

 

知性とは、雑多なクダラナイものを含めたいろんなものを、見たり吸収したりしながら常に感じたり考えたりすること。それは、生きて変化し続ける。堅固な壁や塔ではなく、生まれては消える蚊柱のようなもの。自分を信じる以外に、足場はないんです。

 

固まった方向性にこだわらずに、自分の周りにあるいろんなものを見て感じて、自分で考え続けることでしか本当の知性は生まれない。20世紀は終わり、日本の近代を形作って来た『古い知性』はもうとうに賞味期限切れなのだから。」

 

 

今の学校学を見ていて、子どもを預けていて、一番自分がもやもやと不安に感じていた部分を、端的に表現してくれているなあ、と思った。

「これじゃあ真に受ければ受けるほど、真面目にがんばればがんばるほど、バカになっちゃうよね?」という気持ち・・・。

全ては善意から発しているだけに、切ないんだよなあ。

素朴な疑問を言えば相手の気分を害すし、のらりくらり、サボタージュ的にやるしかないのか?という話で。

 

そして、「ヤンキー」についての考察もなるほどーと思った。自分の足りないことがようく分かった。今頃気づいたのかと言われそうだけれど、私はかなりヤンキー寄り。生まれ故郷の漁師町は周囲ヤンキーばかりだったし。あーあ、残念な人たち、と思って見ていたつもりが、結局自分も大差ない、同類だ。

 

自分の実感に基づいた小さな考えにだけ凝り固まって、他の豊かな世界から感じたり、そこから考えたりすることを放棄してしまう、一途に努力してしまい、その努力で何かが保証されるほどにさらに偏狭さを増すという生き方を「ヤンキー」というのだ、と橋本治は言っている。ほんとにその通りだ。

 

いずれにしても、「大学出」も「ヤンキー」も、自分で感じ、自分の頭で考え、自分で選びとることを放棄している、そこから逃げている生き方なんだと言えるだろう。すなわち反知性主義

 

知性を放棄しないこと。そこを心して子育てを考えていかなくてはなと思う。自分自身も。とはいえ、変化し続けることを恐れないことは、言うは易しで相当難しいことだ。そのためには、できるだけ日々ハッピーでなくてはいけないと思う。

 

 

帰り道の車の中。

助手席ではおっちんは眠りこけ、後部座席では3人の男子が将来について語り合っている。そういうきっかけを作れただけでも、学祭へ行って良かったな、と思う。

 

「でもそういう仕事だったら、将来機械に取って代わられてしまいそうじゃん」

「だから専門的なことを学ぶんじゃなく、普通の(潰しがきく)学校へ行って、それで状況を見て将来を決めた方がいいと思って」

「じゃあ、どんな仕事だったら機械になる心配がないんだろう。接客でも無理らしいし」

「漁師とかは?」

「いやー、それも分からないよ」

「料理を作る仕事はロボットにはできないらしい」

「へー」

 

おお、と心の中で小さく衝撃を受けながら黙って運転をしていた。

AIがほとんど全ての仕事を人間に取って代わるようになるというニュースは、もう耳慣れたものだけれど、そうかそんな世知辛い思いと不安を抱えながら君たちは将来を考えているのかー。

でも、実際にそんな世の中なんだから、そのように考えるのは当然である。

これは大変なことだなあ、と思う。

 

この不安に立ち向かうには、自分がどんな状況にあっても、まあまあ生きていけるって実感を得ることが必要だ。ますますシンプルに、モノとお金に対する依存度を大きく減らし、生活を切り回して行く知恵。それに加え、自由に身軽に動けることや、外国語がわかると尚良い。

 

おお、それはまさに私が取り組み、望んでいることではないか。

子どもだけではない。私も、世の多くの大人も、今、大きな不安の渦の中でもがいているのだな。