続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「彼女がその名を知らない鳥たち」

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彼女がその名を知らない鳥たち」、蒼井優と、撮影が素晴らしい作品だと思った。むしろ撮影に演出の深みを感じながら見ていたと思う。

 

見ながら何度も頭に小さなはてなマークが点灯。思わず「なんで?」と小声で隣のだんなさんに突っ込むこと数回。

もちろん、肯定的に見るのが前提なので、基本お話に没入して見ていたのだけれど、一夜明けるとますます違和感は大きくなっている。

 

原作を読んでいないので前提を知らないのだけど、そもそも監督の意図である「男の夢」「ファンタジー」ということなのか?この物語は。感動的を煽るラストに違和感。そういう解釈はなんだか浅い気がする。

恐らく原作の意図は違うんじゃないのかなと想像する。やはりこれは完全に「イヤミス」でしょう。

 

彼女は男たちに身勝手な性欲やエゴや思いを押し付けられ、翻弄される「はきだめ」のような存在で、阿部サダヲの死によって、彼女は完全な精神の牢獄に生涯閉じ込められることになった。これは、女の人の、存在の地獄を描いた作品なのだろうと私は受け取った。

 

全て背負ってあなたのために死ぬと、俺の生まれ変わりの子どもを宿してくれと言って目の前で死んでみせるなんて、もう壮絶な男のエゴというか。愛のはき違え。

これを「男のロマン」と思っている人に言いたいが、愛する人に死ぬまで自分を罰し続ける事を強制し、自分の名が刻まれた十字架を背負わせることは、究極の愛などではなく、エゴです。

 

本当の愛は「あなたのためを思って」なんてそもそも言わないと思うもの・・・。陣治は作中幾度も幾度も言っていたが、私は「あなたのためを思って」という人を基本的に信用しない。「あなたのために」は相手の拒否や反論を封じる言葉。ほぼ「自分のために」と思って間違いない。

 

 

全体に、物語を形づくるレイヤーの層が薄いという感覚。

シーンそれぞれのクオリティーの追究はすごく厳格に行われているのだけれど、肝心のどうして彼/彼女がその人たりえたかという部分についての根拠が示されていないか希薄なことが多く、すかすかしか印象がある。

演出や脚本の人物に対する理解よりむしろ撮影が演出を超えている印象。

 

結局、感情のほとばしりやセックスや暴力や血や涙といった、ショックバリューで力技的に見せて行くということを好んでいるのだな、と感じる。そういう分かりやすいショックや、迫力や、ドラマティックさを感動と同一視してはいまいか。

 

日本映画だけではないけれど、観客が映画を観る目的として、「その場だけでいいから、いかに大きく感情をゆさぶってくれるか、泣かせてくれるか、圧倒させてくれるか」を貪欲に求めるという前提で多くの映画が作られている。

 

そういう映画ももちろんあって全然いい。分かっててやってるんだ、と開き直った顔の映画を、自分自身楽しんで観ることもあるし、「はいはいそうですね、お好きに」と言ってスルーすることもある。

でも、もし「映画とはそういうものだ」となったら、やはりそれは違うって言いたくなる。

それは禁じ手なんだと。それを分かって使っていなければ、質の悪いはき違えになるから。白石監督がそうだということではないけれど。

 

映画はもちろん自由だけれど、映画の基本の文法ってやはりあって、それを知ったうえであえて外してくるというのと、そもそもその前提がないというのは違うんだと思った。

あまりシステマチックで余白のないハリウッド映画も確かにつまらないが、普段、いかにすみずみまで神経の行き届いた、よくできた映画に何の気なく接しているのかが逆によく分かる。

あれれ、なんだかひどい言いようになってしまったが。

 

この監督さんの感覚は苦手だけれど、物語の持つムードの表現や、スムースな編集、感情を喚起することのうまさは、すばらしいと思った。

そして、映画を観た多くの人がその感想を持つと思うが、蒼井優はとっても素晴らしかった。彼女は映画のスクリーンの中で生きる人としての、ある種特別な資質を「持っている」人なのだなあということがこの作品を通じてよく分かった。平たい言い方になってしまうけれど、存在感とか、すごみということなのだろうなあ。

それだけに、彼女にあんまり頼りすぎてはいけないんじゃないのかな。という感想も持った。

好き嫌いを超えて、いつもすごいな、と思う女優。こじらせ女や愛人は鉄板だけれど、全然違う役柄の彼女もぜひ観てみたい。