久々のお日様。
今日は少し早めに家を出て、線路の見える高台の公園で本を読みながら日光浴をしようと思う。
私がデザインしたデイサービスの広報誌の新しいやつがヨックモックと一緒に送られて来た。週末のバザーのお知らせとともに。
目が回るほどいつも忙しく、財政も厳しいはずなのに、いつも気を使いすぎるほどのあすこの人々。
何かお返しに送ろうと思ったんだけど、そうだ寄付が一番だと思ってネットで振込み。ちょっと奮発した。でも要らないって言っているのにデザイン料もいつも支払ってくれるから、その分も倍返し。
そして、ついでに立憲民主党にも個人寄付をほんの少しだけどしておいた。
自分は何もかもはできない。向いている事とそうでない事も年取るごとにきっぱりくっきりしてくるし、体力も衰えてきているし。
でもお金はちゃんと役に立つ。お金はいかに使うかが大切。と、いつものように思う。
昨日は久々に会う友人宅で、ペールのフレンチお弁当をつまみながら夕方までおしゃべり。
彼女が保護センターから引き取った犬(キャンディ)にやっと会えた!めーっちゃかわいかった。ぬれた黒い大きな瞳でじいっと顔を見る。中型犬くらいの大きさだのに、耳とシッポはパピヨンみたいに大きくふさふさと長い毛が生えている。世界で一匹のオリジナルな風貌が、か、可愛すぎる・・・。思い出しても胸きゅんだ。
ああ、なんで写真を撮らなかったんだろう。私のばかばか。
しかし、ブルータスお前もか。フェイスブックで再会した昔の男と。
このパターンを聞くの何人目だろう。ほんと罪深いツールだなあ。一線は越えんようにね、と釘をさす。
現奥さんの写真とかも簡単に見れてしまう。私に見せられても、と思いつつ、ついつい見てしまった。
「ねー、怖い世の中だよねー」
と冷めた瞳で奥さんの写真を眺める友よ・・・。
そうこうするうちに彼女の子どもたちががやがや小学校から帰って来て、でも特に話をやめるでもない。子どもたちも当然ながらお母さんが恋わずらってることなんて気もつかない。うーむ、人の世は。
でも、これまでの蓄積があるから、彼女を責める気持ちには全然なれない。私だったらそんな風に夫に言われたら耐えられない、と思っていたもの。
私は小心者だからとても無理だし、気が合う人と一緒になれて本当にラッキーだった。それでも先には何があるかは誰にも分からないんだ。
今回、久々に彼女に会った時、「あ、痩せてきれいになっている」ってすぐ思ったんだった。うん、こういう事があった皆さん、明らかにきれいに女性らしいムードになる。美しきは善きことだ。善きことなんだろうけれど。
ウディ・アレンの「ハンナとその姉妹」を思い出すなあ。秋だし、また見たいなあ。
映画の中の人たちはみな結局のところ「それ」を我慢する事はできない。人間はどうあってもしたいようにするものだ。
そして気が済んだら元の鞘に納まって行く。心の中に苦さを抱えながら。
観客として、外からクールに眺めていると、「おうおう、さかっておるのう、誰も彼も。」という感じだ。でも当事者的にはめくるめく愛の世界だ。分かっていても誰しもそうだ。自分だってそうだった。ぎゃー、思い出すと赤面だ。穴があったら入りたいぜ。
いつだって恋ってそういうもんなのだ。