続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ロールモデルはばあちゃん

だんなさん→東京

おっちん→米粉のパン作り

ゆうた→近所をジョギング

 

今日もわなわなだったらどこへ連れて行けば!と思っていたが、それぞれが好きなようにやっている。ほっ。

昼ご飯を過ぎても、私が実家の母と電話をやめないので、ゆうたは勝手にレシピ本で作る料理を選び、近所のスーパーへ買い出しに行き、「豚肉とかぼちゃの香味煮」を作り始めた。

その間においしく焼けた米粉のパンを試食するおっちんと私。ほくほく。

 

実家の母の口ぐせは、

「あんた、もーちゃんとしたらなあかんで!」

私やだんなさんが、あくまで子どもに好きにさせていることを咎める言葉。今日は、

「もうすぐゆうたが受験だから、さすがのあんたもお尻叩かんとしゃあないやろ」

と言われ、

「別になあ・・・・。やらないとって本人が思った時には今もそれなりにやってるから。」

と返すと、母は「あんたはポジティブやから」という変なフォロー感の入った呆れとあきらめまじりの言葉。苦笑。

 

つくづく、どうして自分はこういう親や、考えに囲まれて育てられたのに、全然違う考えを持っているんだろう、と教育のことに限らずたびたび思う。

ちなみに、妹の子も弟の子も、勉強第一!のエリート街道をまっしぐら。小さな頃からずーっと鬼っ子感覚の私の人生だなあ。

 

母は父が大企業のサラリーマンを辞めることを、けして許さなかった。あの時の父のつらそうな様子、今でも心に残っている。

自分は全然違う人生になった。

だんなさんが楽しそうでいてほしいし、私のせいでしたいことができなかった、悔い残る人生になったなんて絶対嫌だって思っている。

 

母を非難するつもりはなく、そっかーと思うだけ。むしろ、そこまで大きな権力を配偶者に対してよく行使できるだけの自信があるものだなあ、と感心する。自分には、とてもそんな責任は持てないと思うのみ。

 

 

だんなさんにこないだ、私は死んだ母方のばあちゃんの影響をすごく強く受けてるよね、と指摘されて、わりと腑に落るものがあった。

じいちゃんも結構ヒモっぽいじいさんであった。かなり楽しそうで、仕事はあんまりせず、好きな事ばっかりしていた。めっちゃ放し飼い。

子どもに対しても、「学校は、縁のあるところへ行けばいいんじゃ」って言っていたばあちゃん。

私は記念日だけプレゼントとかちゃんとするとか、あらゆる「式」とかが自分はどうも嫌いで、何でもない普段の時にちょっと思っているみたいなことのほうがよほど大事と思うほう。

ばあちゃんに子どもの頃クリスマスプレゼントを渡した時に、「そんな南蛮の祭りはしていらん」と一蹴された(笑)、そういえば。

ばあちゃんが私のロールモデルなんだろうな、いろんな意味で。

最近はあんまりなくなったけれど、何か迷うことに直面するたびに、

「こういう時ばあちゃんなら何て言うんだろうな」と思っていたものなー。

 

母にとっては私は相当だめお母さんみたいなんだけど、申し訳ないけど、私は子どもたちに何一つもっとこうなってほしいとか思わないな。楽しみばっかり。だから、母の言うことにはいつも「そうやなあーまあなあー」と言いながら右から左。

 

「うちらのやっていることと言ったら、塞がないことだけだね」と、だんなさんが言っていた。いつだってそれが一番大事と思っている。