続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

綿谷ノボル

だんなさんは4時起きで日本橋へ。起きたらもう姿がない。

ゆうたは6時半から部活の駅伝の試走に行くはずだったのが、目覚ましをかけ忘れ、7時半に起きて青ざめる。シリアルをかき込んでリンゴをかじり、嘆息しながら出て行った。

おっちんはぬいぐるみたちと一緒にソファに座って、昨夜録画した「ラピュタ」を見ている。

 

私は今日は午前中はいつもの通り原稿を書き、午後からジムへ行くつもりだけど、これだけ涼しくなったからそろそろ衣替えをしたいなあ。

 

 

このところの政治ショー、人間の本質が垣間見えるいろいろが何ともすさまじいな。観察ぐせの自分には興味深すぎる。

日頃賢そうに、何でも分かってます知ってますという風に話している人々も軒並み混乱しているし、誰も何も分かっていないんだな本当は。ということがようく分かる。

これから1カ月足らずの間に、すごくいろんなことが起こるんだろう。

 

自分の考えはシンプル。もうさすがに「どんな公約を掲げるか」や「争点」なんて、聞くだけ無駄だから、「これまでどんなことをしてきた人か」だけをじっと見るのみ、と思う。人間は言葉じゃなく、行動に全てが現れているものだということを、自分を含め忘れないようにしたい。

 

 

小池さんという人。彼女のありようは、私の目から見ると、ほとんどホラーみたいに思える。

人には、好きに生きる自由があり、経済や身体や勉強などの要素によって、さまざまに選択肢が変わるけれど、たくさんの選択肢を手にしているひとが、どうしてよりによってそんな地獄みたいな生き方を選ぶんだろう。ただただ、純粋に驚く。

テレビ画面のなか、さまざまな思惑を持って自分を利用しようとする人々の中心にあって、貼付けた甘たるい笑顔で「がんばろー!」と拳を挙げている姿に、ぞわぞわしながらじっと見入る。

 

安倍首相という人は、どう考えてもあまり立派な人物とはいえない祖父岸信介の存在を正当化するというアイデンティティーを主とした単純な信念に固執して生きている、視野の狭い人物だと基本的には理解している。イエスマンばかりを周囲に置き、他の意見に耳を塞ぎ、自分の言いたいことだけ言って悦に入っているさまは、どちらかというと浅はかで子どもじみている。気の毒かつはた迷惑な人だと思うが、まあ分かりやすくはある。

 

でも、小池さんという人は、一体何を目指しているんだろう?権力を掌握したいということは分かるけれどもその先に何をしたいかが見えない。言っていることに具体的な内容が何もない。「リセット」「しがらみのない」って一体?その空虚さも含め、一人の人間としてすごく怖さを感じる。

 

 

かつてそっくりな人がいたということにはたと思い当たった。「ねじまき鳥クロニクル」に出て来る、綿谷ノボルだ。本を引っ張り出してきて読み返すと、あまりの符号ぶりが尋常ではない。

長くなるけど、自分を整理する意味でも、以下に中略しつつ、引用。

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『彼は、現実の世界に対しているときよりは、カメラに向かっているときの方がむしろリラックスしているようにさえ思えるほどだった。僕らはみんな唖然として、彼のそのような変貌ぶりを眺めていた。

いったいこの男は何なんだろうとそのときに僕は思った。この男の実体というのはいったいどこにあるのだろうかと。

 

カメラの前では彼はむしろ寡黙に振る舞った。意見を求められたときには、簡単な言葉とわかりやすいロジックを使って、的確な意見を述べた。人々が大声で論争しているような時にも、いつもクールに構えていた。挑発には乗らず、相手に喋りたいだけ喋らせておいて、最後に相手の言い分を一言で引っ繰り返した。にこやかな顔で、穏やかな声で、相手の背中に致命的なひと突きを与えるこつを彼は会得していた。

 

彼にはたしかに才気があり、才能があった。それは僕も認める。彼は短い言葉で、短い時間のあいだに相手を有効に叩きのめすことができた。風向きを瞬時にして見定める動物的な感も持っていた。

 

しかし注意して彼の意見を聞き、欠いたものを読むと、そこには一貫性というものが欠けていることがよくわかった。彼は深い信念に裏付けされた世界観というものを持たなかった。それは一面的な思考システムを複合的に組み合わせて作り上げられた世界だった。

 

彼はその組み合わせを必要に応じていかにも瞬時に組み替えることができた。それは巧妙な思想的順列組み合わせだった。芸術的といってもいいくらいだった。

 

でも僕にいわせればそんなものはただのゲームだった。もし彼の意見に一貫性のようなものがあるとすれば、それは「彼の意見には常に一貫性がない」という一貫性だけだったし、もし彼に世界観と言うものがあるとすれば、それは「自分には世界観の持ち合わせがない」という世界観だった。

 

しかしそれらの欠落は、逆に言えば彼の知的な資産でさえあった。一貫性や確固とした世界観といったようなものは、時間を細かく区切られたマス・メディアでの知的機動戦には不必要なものであり、そのような重荷を背負わずにすんだことは、彼にとっての大きなメリットになった。

 

彼には何も守るべきものがなかった。だから純粋な戦闘行為に全神経を集中することができた。彼はただ攻めればよかったのだ。ただ相手を叩きのめせばよかったのだ。綿谷ノボルはそういう意味では知的なカメレオンだった。相手の色によって、自分の色を変え、その場その場で有効なロジックを作りだし、そのためにありとあらゆるレトリックを動員した。

 

レトリックの多くは基本的にはどこかからの借り物であり、ある場合にはあきらかに無内容だった。しかし彼はいつもまるで手品師のように素早く手際よくそれをさっと空中から取り出してきたので、その空虚さをその場で指摘することはほとんど不可能に近かった。

 

それにもし仮に人々がその彼のロジックのインチキさにたまたま気づいたとしても、それは他の多くの人々が述べる正論に比べれば(それらはたしかに正直ではあるかもしれないが、論旨の展開に手間がかかったし、多くの場合視聴者に凡庸な印象しか与えなかった)はるかに新鮮だったし、ずっと強く人々の注意を引いた。

 

いったいどこでそんな技術を身につけたのか僕には見当もつかないのだが、彼は大衆の感情を直接的にアジテートするコツを身につけていた。

 

大多数の人間がどのようなロジックで動くかを実によく心得ていた。それは正確にはロジックである必要はなかった。それはロジックに見えればそれでいいのだ。大事なことは、それが大衆の感情を喚起するかどうかなのだ。

 

ある場合には、彼は難解な学術用語のようなものをずらずらと並べたてることもできた。もちろんそれが正確に何を意味するかなんて、ほとんど誰にもわかりはしない。しかし彼はそのような場合にも「もしこれがわからないのなら、それはわからない方が悪いのだ」という空気を作り出すことができた。あるいはよく次から次へと数字を持ち出した。しかしあとになってよく考えてみると、その数字の出所が公正なものであるか、あるいは根拠が信頼できるものであるか、といったことに対しては、議論らしい議論は一度も行われなかった。彼の戦略はあまりにも巧妙だったので、多くの人々はそのような危険性を簡単には見破ることができなかった。』

(「ねじまき鳥クロニクル」第一部P.139-142より抜粋)

 

まるで、小池百合子という人について説明しているかのような符号ぶり。彼女に対して感じていた印象とぴたりと重なる。怖すぎる。

この20年前に書かれた小説の文章のなかには、ある重要な本質が含まれていると思う。

 

そして何よりも問題なのは、綿谷ノボルに対して人々は「為す術がない」ということなのだ。上記の文章に続いて、こういう記述が続く。

 

『そのような巧妙な戦略性は僕をたまらなく不快にさせたが、その不快さを他人に向かって正確に説明するこができなかった。僕にはそれを論証することができなかった。

 

それはちょうど実体のない幽霊を相手にボクシングをしているようなものだった。どれだけパンチを繰り出しても、それは空を打つだけだった。何故ならそこには、そもそも手応えのある中身というものがないからだ。

 

僕はかなり知的に洗練された人たちまでが、彼のアジテーションに動かされるのを見て驚いたものだった。

 

世間にとって一貫性というようなものは、もはやどうでもいいことであるようだった。彼らが求めているのは、テレビの画面の上で繰り広げられる知的闘剣士の試合であり、人々が見たがっているものはそこで派手に流される赤い血だった。

月曜日と木曜日で同じ人間がまったく逆の意見を口にしたとしても、そんなことはどうでもいいのだろう。』(同著、P.143より抜粋)

 

9条改正、原発再稼働、秘密保護法に賛成した人だが、数日前にこうした考えを表明している情報を公式サイトなどから全て削除している。少なくとも、選挙の間は隠すつもりのよう。

かと思うと、わざわざ朝鮮人虐殺への追悼文を取り下げたり、「誰でも仲間に入れてあげるつもりは「さらさら」ない。リベラルな考えを持った人は排除する」と公言する。

 

 

皆さまざなな事を言っているが、彼女の全容を把握できている人はいないと思う。

それはきっと彼女が、綿谷ノボルのように、一貫性も深い信念に裏付けられた世界観もない、実体のない人だからだ。

 

小説では、綿谷ノボルは、主人公の暗喩的な暴力によって致死的な状況に至り、実妹のクミコの手によって殺されることになる。

もう飽きるほど読み返したこの小説、そろそろまた読み返す機会なのかも。

 

日に日に彼女に魅入られていくメディアを眺めながら、この先どうなるんだろうと一人静かに考えている。