続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

望遠レンズと魚眼レンズ

最近朝時間に、だんなさんと喋り過ぎる・・・。

水曜日は息子の朝練がないので、朝起きる時間も1時間遅くなるから、全部ずれる。

私が隠し持っていた美味しいバターガレットを部屋から持って来たから、もう2杯余分に紅茶を飲んでしまった。

 

とはいえ、日中はそれぞれの部屋にこもって作業していて、そんなに喋る時間もない。子どもが帰ってきたら、子どもの前で喋れることを喋るし、子どもの話を聞くのも大事だから。

朝のひとときは、子どもの事や、日頃考えている事、気がついたこと、思うことなどを話しておく、コンセンサスを取る時間みたいな感じでわりに大切な時間なのかもしれない。

 

実家の母がうちに泊まりに来た時に、自分が寝床に入ってからも夜喋っていた私たちに「あんたらようそんな喋ることあるなあ〜」と呆れられたことがあった。

「だんなさん、どっちか言うとおじさんちゃうねん。おばさんとおばさんの夫婦やねん」と返すと、妙に納得された。

 

でも、何も話さなくても安定している、分かり合っている夫婦って格好いいなあ、とも思う。うちは、ちょっと喋らなくなったら、相当危機感あるもの。それはそれで危うい気もする。

 

 

だんなさんの言っていた面白かった例え。

ゆうたは望遠レンズ、おっちんは魚眼レンズなんだ、という話。

 

ゆうたはまあ視野が狭く、しかしピンポイントなものへの集中とこだわりと愛がものすごい。打算も比較も何もなく、遠ーいそこだけを見ている。

要領はものすごく悪い。自分にぴったりなものにロックオンしたいのだけど、視界が望遠すぎて、全容が目に入らない。拡大された一部分しか見えない。ものすごく効率が悪いんだけど、それでも打ち込みたい好きなものはいつも必ずあって、ひとつそれが見つかったら、以前打ち込んでいたもののことはすぐに過去のものになってしまう。彼は「トリツカレ男」なのだ。

遠くの一点だけ、他のことはあんまり興味も重要性も感じず、基本めんどうくさい。誰かがやってくれてなんとかなれば、間に合えばそれでオッケー、次もその手で行けばいいや、と思っている。

とにかく、遠くのひょっこりひょうたん島しか見ていないから、身の回りがごしゃごしゃになっていても、全然気にならないのだ。

 

おっちんは小学生のくせにものすごく俯瞰でものごとを見ている。大人の事もすごくクールに見ている。そのうえで、自分がどうしたいかということをはっきりと持っていて、やりたくないことや必要ないことは、理由を理路整然と説明しつつ、きっぱりと拒否る。その揺るがなさといったら、親にもどうすることもできないくらい。

大人の話を聴いて、よく内容を覚えているし、映画を見ても、もちろん子どもらしく単純で一面的な見方は多々あるんだけれど、「自分から取りに行く」見方がもうできていて、感心させられる。「ただ受け身で楽しませて」っていうんではなく、そこにあるサインや意図を多方面から読み取ろうとする見方。

だから、何かについて論じて喋っても、とても面白い話し相手になる。

なんでもソツなくこなせてしまうし、物事の良い面悪い面、損得なんかも早い段階で把握できてしまうので、ゆうたのように一つの事に盲目的に突っ込むということがない。

 

もう相当小さい頃から、おっちんの方が自分より賢いな、と思っていろいろ任せていたし、今後も彼女はどうとでも上手くやっていくだろうと思うけれど、こうして改めて書いてみると、ゆうたに底知れないポテンシャルを感じるなあ。まあ親ばかなんだろうけれども。

 

こういうことを親がお互い分かって子どもと接していると、上手いこと役割分担ができるように思う。

そして、ユーモアが気持ちにゆとりを持たせてくれるので、子どもがより面白いし、近視眼的にならなくっていいと思う。