続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

またもジャームッシュ話。

今日はこれから小竹向原

遠いのう、ほぼ埼玉だ、と思っていたが調べると横浜から東横線副都心線にそのまま乗り入れいてるらしい。本を読もう。

 

帰りに渋谷で「サーミの血」を見て帰ろうと思っていたのだけど、だんなさんに夕方から急な打ち合わせがはいり、夜子どもだけになっちゃうのであきらめる。

 

良いこととしんどいことは、交互に訪れる。

小学生の時から「人生はプラマイゼロだな」と思う気持ちは変わらない。

それでも、自分なりのベストを尽くした、これ以上は自分の力では無理だったことだよ、というくらいにやることをやっていれば、何をどう言われても「まあしょうがないな」とわりにさっぱりと思えるものだ。

 

力及ばないことは、もちろんがっくりするし苦いんだけれど、どこか清々しい。後ろ暗いことはないから、素直に非を認めて、相手の立場を想像して対策を考える気持ちの余裕があることに気付いた時に、年を取ったことの善き側面を感じる。

 

大事なことは、自分はこうありたいと思う事を、ちゃんとできないまでも、逃げたり嘘ついたりせずそこに向かえているかということと、何かに首根っこをつかまれていないか、自分なりの自由を担保できているかということだなあ。

 

昨日、「ギミー・デンジャー」を見ただんなさん。上映後のトークショーで、「リミッツ・オブ・コントロール」にサントラを提供した日本のロックバンドのメンバーが、

「先日『パターソン』も見たけれど、ジャームッシュってまさにあのまんま、あの通りの人ですよ」

と言っていたそう。

どうして自分が「パターソン」がうれしかったかって、やっぱそこなんだよなあ。

 

だんなさんが、「デッドマン」のワールドプレミアをサンフランシスコで見た帰りのこと。関係者や招待者が軒並みセレブ然として、トム・ウェイツニール・ヤングとかも、皆華やかにリムジンで会場を後にしていた。その中でジャームッシュはふらーっと一人で歩いて会場から出てきて、(どうしたんだろう)と見ていると、その辺にいた数人のファンに応えてさらさらっとサインを書いてから、そのままふらーっと煙草片手に一人で歩いて行ってしまった。

「あっ、ジャームッシュ地下鉄で帰るんだ、と思ったよ」と思い出して話していた。

かっけーね、ジャームッシュ。周りがどうあってもずっと変わらないね。と言い合いながら、朝ご飯を機嫌良く食べた。

 

なんだか最近、ジャームッシュのことばかり書いているな。それは多分、今、自分が渇望しているものを彼がある意味で体現しているから、反応してしまうのだ。

「バスがカーブをゆったりと曲がるシーンを見ていると涙が出た」と言うと、「末期的だね」とだんなさんに言われた私ですから。

 

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