続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

優しくなるためには

今日も爽やかなお天気。

気が向いたら少し原稿書きして、今日も整える一日にしよう。

 

昨夜、一足先に「パターソン」のレイトショーを見て帰ってきただんなさん、ほくほくしている。

 

「結果がすべて」とか「結果を出せ」とか、とかく形にすることに値打ちがあるとされる。でも、出来上がらなくたっていいじゃない。すごくなくったっていいじゃない。

みんながささやかでも好きな事を楽しそうにやって好き好きに暮らして、それを「ああ、いいね」って認めてあげる。そういうことが大事なんじゃないかな。

短い人生なんだから優しくありたいよね。批判するより、肯定する側でありたい。

 

彼は、映画を見て、そういう事を思ったんだそうだ。

私は耳が痛かった。なんだかんだ言って、いろんなものに対して「すごくあること」を期待してしまう。だから優しくない。

それで、昨日書いた映画の感想、ちょっと見直してみた。優しいほうがいいよね・・・

 

どうして優しくなれないのか。それについてちょっと考えてみた。自分なりの感覚としては、「自由が少ないと感じる」ことがぎすぎすの根っこにあるような気がする。

チョイスが限られていると感じている。それにともなって、アンフェアな状況があると感じている。結局のところ、あの嫌な「被害者意識」が、優しくなさにつながっているということだ。

 

だからここはひとつ、「自分なりの自由気まま」のために、さまざまに工夫してみるとしよう、と思う。全部身勝手放題が楽しいということじゃもちろんない。家族や大事な人の役に立てることが幸せなのだから。

 

だいじなのは不本意なことを減らし、不満を解決するよう実際的な工夫をするということ。そして、自分の中にある邪悪なものの存在を認め、意識し、上手にリリースするように工夫するということだ。