続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「三度目の殺人」

で、「三度目の殺人」。

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この映画のような結末は、良くも悪くも今の日本においては、映画というメディア以外ではあり得ないものだったろうし、誰もすっきりすることのないこの物語を、今の世の中に広く提示したということはとても値打ちのあることだと思う。

 

分かりやすいって、そんなにいいことなのかなと言いたくなることは、テレビやニュースやドラマや本などを見ていて頻繁にある。

観る人に親切と言って、なんでもかんでも無理矢理分かりやすい単純なストーリーに当てはめてみせることで、観る人の考える力や知性がどんどん奪われることになってはないだろうか。

 

グレーを抱きしめて生きることは苦しい。じりじりと割り切れず、自らのずるさや嫌らしさにも直面するし、すっきりハッピーになるということがない。

でも、それが生きるということのデフォルトなんだ、基本のありようなんだということを、周囲のすばらしい友人たちや、だんなさんや、優れた映画や本は、私に繰り返し繰り返し説いてくれたと思う。

 

分かりやすいカタルシスを短絡的に求めることが、どれだけいけないことなのかということを、私たちは何度でもいつでも思い出して自らを戒める必要がある。

自分は何にも分かっていないし、どうしたって分かりえないのだということをベースに物事に向き合わない時、人間はどれだけでも正義感にかられた傲慢な存在になりうるのだということ。

 

何が正しく何が間違っているか、何が善き事で何が為すべきでないことか、一人の人間の考えで到底決められるものではない。私たちは本当に不確かな存在なんだ。だからこそ、省みなくてはならないんだ

 

子どもたちは「よく分かんなかった・・・」と言っていた。そりゃそうであろう。それで良かろう、と思う。そういうものを見ることも大事なことだ。それでも作り手が本気の思いならば、きっと何かは心に残るのだ。

 

 

映画の作りに関しては、法廷劇という設定からも、ついつい「ゆれる」を念頭に見てしまったゆえに、「あのしびれる感覚が、なーい!」と見終わったあとじたばたしてしまったが、そういう風に比較するのは良くないことだな。そもそも着地点が違うのだし。

 

とにかく役所広司が気持ち悪いくらい上手かった。福山雅治演じる重盛に説得力があと少し欲しかった。どうして重盛が三隅にここまで度を超して肩入れしていくのかという部分で心理的についていけなかったために、映画のクライマックスにあと一歩感情移入しきれなかった。

でも、クローズアップが多用されていた作品だったので、福山がどこまでクローズアップしても本当〜にきれいな顔でため息。

 

前半、話運びが単調でしんどかったのと、 美術や音楽がある意味際立ち過ぎていて時々気が散った。「光」が主張しすぎていて、時々眩しかった。法廷の開廷の時はすごく美しかった。撮影も、作り手の意図が感じられ、何度か我に返ってしまった。物語に集中したいから、もう少し、溶け込んでいてほしかった。

 

 

ともあれ、ラスト10分の緊迫感。全てはこの高まりのためだったのだなと理解。

決着感がなく、続いていくという感覚がある。自分の頭で考え続けることだ、と言われているかのように。こういう後味の作品は、最近の日本映画では希有だと思う。