続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

日本映画の危機的状況について、「パターソン」

いいお天気!

朝から洗濯物を2回回して、ようやっと冬用の布団を虫干しする。

こないだ埃をしこたま吸い込んで、3日咳が止まらなかったので、今日はマスクでしっかりガード。冬支度が始まるなあ。

 

日曜日に家族4人で「三度目の殺人」鑑賞。いろんな思いがよぎり、ほんとにいろんな意味で考えさせられる作品だった。

 

考えさせられたのは、映画が始まる前からだ。

映画館では、いつもの通り、作品の前に10分ほどの予告編が流れたのだけど、大抵は鑑賞する映画と類似するジャンルの予告編を流す。

今回は邦画のメジャー作品が次々と流れたのだけど、何も見たい作品がない・・・。予告編だけなのに見るのが苦痛とは。

邦画のメーンストリームの作品の想定する観客層からは自分は完全に外れているみたい。マイノリティー感を感じるなあ。

 

しばらく前に、映画評論家の町山さんが、Netflixが、日本のアニメーションを大量に新たなオリジナルコンテンツとして導入することが決まったというニュースについて語っていた。

日本のアニメーターは、その高いスキルや評価とは裏腹に、劣悪な雇用環境の中にあり、業界のあり方は問題視されながらも、事態は一向に改善しないままという状況が続いていた。

 

そのような人々を、Netflixはいきなり日本の10倍、20倍のギャランティーでもってオファーし、さらに、スポンサーを持たないNetflixは、どんな制約や制限も設けず、自由に本当に面白いものをアメリカで作ってください、と言うのだもの。

どんなモラルに対するタブーもない、タガが外れているというところが、Netflixの怖いところではあるとはいえ。

 

「これからすごいことになる」と町山さん。

これから日本の優秀なアニメーション監督はほとんど海外に流出してしまうだろう、と。

いち観客としては、作り手が良い環境で良い作品を生み出せれば、それがどこであろうが良かった、と思うけれど、 教育や文化にまともにお金を回さない国にいるんだということは、まあ、誇らしいことではないなあ。

所詮、人海戦術で、人をこき使うやり方で乗り切れるものではない。今、いろいろな分野でまともに結果が見えつつあるんだと思う。

 

そのような中で、何はともあれ、ひとつの多様性を担保する大人の作品を是枝監督が世に問うたことは、大きな意味があることだと思う。

 

 

 

ハリウッド映画だって大変だ。スターウォーズだって、予想通りお金儲けの道具にされて、もうめちゃくちゃにされてしまって、もう終わりが見えている状況だし。

 

今、一番見たい映画が、ジム・ジャームッシュの新作「パターソン」。金曜日見に行く予定なのだけど、ジャームッシュのコメントを読んで、映画がさらに楽しみになった。

 

 

『パターソン』は、ひっそりとした物語で、主人公たちにドラマチックな緊張らしき出来事は一切ない。物語の構造はシンプルであり、彼らの人生における7日間を追うだけだ。『パターソン』はディテールやバリエーション、日々のやりとりに内在する詩を賛美し、ダークでやたらとドラマチックな映画、あるいはアクション志向の作品に対する一種の解毒剤となることを意図している。本作品は、ただ過ぎ去っていくのを眺める映画である。例えば、忘れ去られた小さな街で機械式ゴンドラのように移動する公共バスの車窓から見える景色のように。

── ジム・ジャームッシュ

 

 

あーいいなあ。今こそまたジャームッシュの作品を見直したいなという気持ち。