続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「映画を撮りながら考えたこと」

薄暗く、朝は小雨が降っていた。

涼しいなあ。間なく、いきなり秋になってしまったので、私も息子もコンコンと咳をしている。

私は風邪というより、慌ててリネン周りの衣替えをしたり、カーテンを縫ったりしていたので、埃にやられたんだと思う。ダストアレルギーだから。

でも今日も、お日様見えたら分厚い布団を虫干ししなくっちゃ。息止めて。

 

昨日は何カ月かぶりにコストコ。息子はテスト勉強でお留守番。当然会員カードは期限切れ、今後も必要あるのかなあと少し考えてしまったが、我が家は大量の手づくりグラノーラを作るため、材料でコストコに頼るところがやっぱりあるのだ。

あまりに1つの商品が大容量すぎて、基本気持ちが萎えるコストコだ。

それでも、なんだかんだで会計するとすごい金額になっている。恐ろしい店だなあ。

 

 

夕方「これから帰るよー」と息子に電話して、「ちゃんと勉強してた?」と訊いたら「どうしようほぼ寝てた」とのたまう。「知らんわ」と電話を切って「嘘ついてやってたとか言うんでなく、おかーさんどうしようって感じで寝ちゃったとか、もうほんとにめんどくさい」と苦笑しあう。こりゃ今回もだめだな。

 

今日は整える日。

映画もちょっとよぎったが「ワンダーウーマン」どうしても食指が動かない。んーー。

それで、今日は冷蔵庫の掃除して、農協に食材の買い出しに行こうと決める。

 

今日は来週のインタビュー取材の質問リストを作る予定だったのが、取材トピックに関する経験不足の方だったことが判明、まさかのバラシになりそう。もっと考えて人選しろよーと言いたい。

しかし、自分はあんまりこの仕事したくないんだな。メールのNGの文字を見て、ちょっと「うふっ」としたもんな。

あ、でも今来たメールでは、やっぱりバラシにはならなそう・・・。先方としてもやっぱりおいしい仕事だからやりたいんだろうな。

 

 日本てタレント至上主義というか、ちょっと名のある人が表に出て何かするとなると、いきなりギャラが気前良くってびっくりする。

もちろん、そこを考えだすと精神衛生上良くないので、自分は自分のことに集中するしかない。「代えの利かない人であるかどうかだ」と言われれば、そうですねと言うしかないということだ。

 

でも、お金のこととか含まれた生々しい情報を共有した時、まあ私としても色々周辺事情について知れるのは勉強にはなるけれど、「どんだけ搾取すんねん」と末端のフリーライターとしては思わずにはいられない(泣)。

 

あらら、やっぱりバラシはなしか。・・・よしっ、やるとなったらちゃんとやろう。がむばろう! と、自らにむち打つ。

 

 

「映画を撮りながら考えていたこと」読了。中盤ぐらいまで、メモする事がありすぎて!という感じだったが、後半は書き留めたいことはほぼなくなるというこの落差がある意味何かを示唆している。

いろんな意味で、是枝監督は、山田洋次監督のラインになっていく人なのだろうなあ・・・。日本を代表する映画監督のひとりとして。

 

是枝作品の「誰も知らない」は、これまで見た全映画の中でも特に好きな1本で、「歩いても歩いても」やCoccoのドキュメンタリーも心に残る大好きな作品。

ところが、「奇跡」でびっくりがっかりしたのを機に、以前のような思い入れはだんだんと陰を潜めていった。その後の作品も何だかんだで全部見ていて、もちろん良かったんだけれど、以前の作品に感じたようなしびれるような感動を感じられたことはない。でこぼこしたところがあっても初期の作品やドキュメンタリーに感じる深い愛着の感覚は、近年のものにはもれなくない。

 

時系列に作品ごとについて語るこの文章を読むことで、近年の作品において、私の知りえなかった作品への思いや良さについて知ることで、また違った視野が得られるかも、という期待をもって本を読んだ。けれど、「ああ、だから自分は、今も是枝監督のファンだけれど、作品自体に関してはだんだん興味を失っていったのか」ということがよく分かってしまうという結果になった。

これから、えらそうなことを書きます。何様と我ながら思うが、もやもやが晴れたという正直な気持ち、自分は何を大事と思うかという感覚を書き残しておきたいので。

 

ああ、と感じた要因は2つあって、ひとつは、今や、人としての立ち位置をどこに置いて、どこからものごとを見ているのかが、文章から伝わって来たこと。

 

安定した心地良い場所から下々の者を見下ろす、という立場に固着してしまった時に、クリエイターの葛藤は薄くなり、芸術がほんとうに救うべき立場の人々の思いは決定的に遠く、分からなくなると思う。成功と引き換えのものと言ってしまうのは平たいことだが、自分自身の価値を自覚しつつ、何も盛らないでいられることは、そうとう自覚的な人か、業の深い人くらいのものなんだろう。

 

 もうひとつが、「職人意識」という問題。

中学のとき大好きだったユニコーンが再結成した時、奥田民生が「これからは皆さんのご要望に応えてやっていく」と言ったのを聞いた時、椎名林檎が「私はJ-POP職人ですから」と言った時、ああ、と思った。

そして、本の中で「「奇跡」以降は作家ではなく職人を目指して作った、与えられたものをどう料理するか」と語っていた監督の言葉にはすごく腑に落ちるものがあった。

 

それは、いいとか悪いとかでなく、道が分かれたという事なんだな。

 

自分の個人的嗜好として、完成度やうまさより、作り手が存在をかけて身を晒しているものが見たい。たしかにある程度のクオリティーは担保されていないと見聞きに耐えないが、最終的に技術はあくまで手段だとも思っている。

 

本の中で触れているように、大島渚監督の「ひとりの作家がひとつの時代に意味を持ちうるフィクションをつくれるのはたかだか十年だ。自分はその十年は撮り終わった」という意見は、例外はあるがおおむねその通りなのじゃないかと実感として感じる。

 

ずっとすごくないといけない、ずっとキレキレのクリエイティブでないといけないなんて、死ねと言ってるようなものだから、「10年終わった」で全然いいじゃないかと思う。世界には映画を撮りたい人が溢れているのだから。

いろいろな人がそれぞれの作品を作り、見る人は見たいものを見ればいいんだから。私ひとりとっても、格闘しているようなものが見たいこともあれば、そんな重たい生々しいものは嫌で、きれいで心温まったり、安心できるものが見たいこともあるものね。

 

 

ともあれ、監督が8年間に渡って語ったことで、濃密な映画論の授業を受けた、という気持ち。

そして、テレビのドキュメンタリー畑から始まった人だけあって、社会や政治的な部分についての考察は、ものすごく共感した。

オウム心理教がどうしてあんなに幼稚なセンスの歌や着ぐるみだったのか、や、どうしてネトウヨと呼ばれる人々はナショナリストになるのかということについてコンパクトかつ簡潔に語られた考察などは、特に印象に残った。

 

その上で、作品は自分のメッセージを伝えるためではなく、「私」と「世界」が出合うために作品を作るのだ、という言葉に深く納得した。

たくさんの作品を見て読んで、すごく思考が整理されていてすごい。本当に賢い人っているんやなあと感心。