続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

冷や水

昨日、子どもたちの定期演奏会が無事終了。

朝10時に家を出て、夜11時に家に帰り着く。

へとへとの汗だくの一日。

いろいろとありすぎ、なんか書く気にもならない。

 

とにかく!演奏は素晴らしいものだった。プロオケにはほど遠いかもしれないけど、逆にこれを子どもがやるというのがなんともすごい。

チャイコフスキーの「1812年」をフルサイズのオーケストラで生で聞けるというのは、ひとつの体験だといえると思う。

一昨年の「モルダウ」に続き、心の琴線に触れるすばらしい演奏だったなあ。泣いている人もいた。自分も後半からは涙がにじんだ。

 

ひとりひとりがわりにへなちょこでも、子どもや学生でも、皆集まるとこんなすごいことが出来てしまうのか!というのがオーケストラの面白さであり、「オーケストラ」という演奏形態のものすごさなんだと思う。

 

このところ、いろいろあって、やな思いをたくさんして、結果とんでもない目にもあって、

それでもずいぶん報われたような気がした。

もう、「音楽のすばらしさと美しさ」だけを胸に抱えて、これからも淡々と任務をこなそうと思う。

 

 

 

「とんでもない目」というのは、オケだけでなく、いろんな事の集積でやらかしてしまった人生最大級の怖いことだった。

 

台湾雑記を書いてるどこではない。今はまだふわふわと体が地面から2ミリくらい持ち上がった状態で暮らしている。

 

おととい、車を運転中、自転車に乗った人と接触してしまった。人生で初めて「人を轢いて」しまった。

曲がり角で、スピードは5キロも出ていない状態だったけれど、文字通り血の気が引く出来事だった。

 

大事な取材に向かう途中で、仕事は当然飛んでしまい、今後仕事ももうもらえないかもしれない。

でも、そんなことはどうでもよくって、相手の方が打撲だけで済んで、本当に本当に涙が出るほど安堵した。

 

だんなさんは関西に仕事へ行っていて連絡がつかず、一人で保険屋さんとやりとりして、警察の現場検証などもして、菓子折りを持って先方のご自宅まで謝りに行った。

 

結果的に怪我が大した事なかったことが全てだが、ある瞬間から肚をくくって全部自分のやったことであること、謝って済む事ではないんだということをぐっとお腹に力を入れて思いながら、ひとつひとつのことを丁寧にやって、関わる人全てに感謝と心からのお詫びの気持ちで接したら、夕方には全部丸く収まっていた。なんだか拍子抜けするくらいだ。

 

処理の最後の段になって、長い付き合いの保険屋さんが

「こういう言い方はあれなんですが、私みたいな商売をやっていますと、こういうことは日常茶飯事です。全部保険でカバーできますし、行政処分も罰金も恐らく発生しませんので、あまり悩みすぎず、どうかすぱっと割り切ってください」と励ましてくれた。

 

でも私はこう思わずにはいられなかった。

もっとひどいことにだってなりえたのだ。

 

そういう事に比べたら、日常のごたごたなど、ずいぶん小さいという風に感じられた。

夜帰って来ただんなさんに、全て終わった事の顛末をお酒飲みつつ静かに説明。さすがに最初は「えっ」と驚かれたが、さすがに40過ぎて、全て一人できちんと始末できて、その上で自分の気持ちをじっくりと聞いてくれるだんなさんがいてくれるということが、なんてありがたいことなんだろうと感じた。だんなさんは「そういうことは、起こる時には起こるんだ」と言って、一言も説教めいたことを言わなかった。

 

そういう事が紙一重で起こりうる世界に自分が住んでいるんだということを、冷や水を浴びせられたみたいに思ったことだった。

 

もう、昔のようには運動神経も良くなく、タフでもない。

事故の直前の「いっぱいいっぱい」の状況、頭がぐるぐるで「to do リスト」がまとめきれずこんぐらがってて、被害者意識があって気持ちが荒れていて、ちょっとお酒を飲んだ時のような浮遊感がある、奇妙な感じだったこと、あの感覚をけして忘れないようにしようと思う。

 

今後はそういう時は、何が何でも動かず、深呼吸をして、じっとしていようと思う。

人に嫌われぬようなんでもはいはい聞いている場合ではない。

 

とにかく、まだずいぶん心がショックを受けていて、「それどころではない」という感じの中、昨日は働きまくり、今日も娘の映画制作ワークショップの発表会に参加、明日もオケ仕事。

 

2つ、今月締め切りの原稿も抱えている。どこまでやれるかあたし。