続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

バースデー

誕生日。

明日は人寄せなので、買い出しや掃除などでばたばた。

夕方家に帰ると、子どもたちが部屋にこもって「ハッピーバースデー」のアンサンブルを練習している。

回数を重ねるごとに、ちょっとしたフレーズを変化させたり、和音を変えたりして、試行錯誤している。

私は枝豆やとうもろこしやモロヘイヤを茹でたり、レタスをむしったりしながら、じんじんと幸せな気持ち。

 

夕食はみんなで「キママル食堂」。おいしいタイ料理を食べて帰り、息子が作ったどろどろのチーズケーキとミルクティーをセッティングしてから、さて「ハッピーバースデー」のクラリネットオーボエの演奏。

1回目はへろへろ、2回目はまずまず。ふたりともずいぶん上達したな。おっちんも「チャルメラ」でなくなった。

寄せ書きと写真の入った額と、割れてしまって欲しかったデュラレックスのピカルディとシャープペンシルをもらう。

 

はあーーーー、じんじんじんじん。

 

今日みたいに張り切って、特別な日にがんばってくれることももちろん嬉しいのだけど、ほんとはこんなにしてもらっていいのかなあ、って毎日ふとした瞬間に思っている。何の留保もない愛情をまっすぐ向けられるたびに。

それらは、とてもそんな人間じゃないよ自分は、と怖じ気づくくらいの留保のなさだ。

日々の小さな事たちが実はあまりにもすごいことなので、まともに考えると胸が苦しく、どきどきしてしまう。

だから、あんまりぐっとそこは見つめないようにして暮らしている。

それだのに誕生日とかだと、きらきらした顔で「さあじんじんしたまえ」と言わんばかりの圧を向けて来るから、たじたじっとなるなあ。

でも、本当は毎日のことだ。日々の子どもたちとの関わりは、自分にはもったいない、ありがたい、有り・難いとしか言いようのないことだ本当は。

 

ぐんぐんと育っていく。もう数年もすれば離れて巣立ってゆく。

そしたらわたしは、老いていろいろ痛い、皺の入った体を抱えながら、静かに残りの時間を生きていくフェーズに入っていく。

老いることはバラ色ではないから、ため息つきつき、じりじりと歩むことも多いだろう。

そんな時、子犬のようにまとわりついていた、まっすぐ覗き込むように私の目を見た子どもたちを何度でも笑顔で思い出すんだろう。

この平凡で冴えない、時に忸怩たるようにも思える今の暮らしの記憶が、多分死ぬまで私を温め続けてくれるんだろうなあ。