続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ダイアログ・イン・ザ・ダーク Dialog in the dark

8月も10日が過ぎた。いよいよ私の書斎は蒸し風呂のよう。きついよう、この部屋にもクーラーがほしいよう。

 

気がつけば、後5日で台湾か!さすがに少しは準備しなきゃと思い、今日のノルマを書き上げた後は、書類のコピーをしたり、行きたい場所のリストアップをしたりしていた。小さなリュックで行けばいいかと思っていたが、買い物も楽しみたいからやっぱりスーツケースにしようかなと思ったり。

 

いずれにしても、基本はパスポートと旅行会社の書類があれば、後は国内旅行と何ら変わらないわけなんだな。この気軽さは、スマホを所持していることも大きいと思う。良くも悪くもそういう世の中になったものだ。

 

昨日は、家族4人で外苑前へ。この夏休み唯一の揃っておでかけの一日だった。

だんなさんたっての希望で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」へ。完璧な暗闇の中、視覚障害者の感覚を疑似体験する施設だ。今月末でひとまず閉館するということで、えいやっと行ってきた。閉館することも手伝って、予約を取るにも苦労したそう。

 

具体的には、暗闇の中で移動しながらいろいろなものを触ったり、匂いを感じたり、知らない人と雑談をして、ジュースとお菓子を食べる。

わりにふつーのことで、はらはらどきどきしたり、ショックを受けたりするようなことはなく、「ほうほう、なるほど、わー、へー」というくらいのテンションだ。個人的には、ものすごーくインスパイアされた!というわけではなかったが、ひとつ驚いたのが時間の経過の感覚。

ナビゲーターの視覚障害者の方が、一通りのコースを終えて最後、感想を尋ねる中で、「どれくらい時間が経っていると思いますか」と聞いたら、

子どもは「10分」、大人も「30分?」「3〜40分くらいかな」と口々に言っていたが、正解は70分だった。私もせいぜい2〜30分と思っていたので、まじで!?と思った。

 

これって何現象なんだろう。五感を働かせて、「今・この瞬間」に必死で集中していたということは言えると思う。時間てなんなんだろう、と改めて思った。

 

そして、もうひとつ感じたこと。8人の即席のパーティで共に過ごしたのだけど、暗闇の中では顔も見た目も関係なくて、みんなろくに動き回る事もできない寄る辺ない存在になる。そうすると皆フランクに声をかけ合い、体を触れ合い、感じよくフレンドリーに過ごす。

 

けれど、暗闇から出て、ロビーで感想を用紙に書かされるのだけど、そうなるともう一切お互い目も合わせないのだ。「わー、あの人こんな顔の人だったんだ」と思いちらりと見ると、睨むような視線を送られてぎょっとしてしまった。

 

アンケートを書くと、皆、隣の人にあいさつもせずに立ち去ろうとする。

私はどうにも気持ち悪くて、「お疲れさまでした」と笑顔で声をかけると、おずおずとした反応が返ってきた。結局、家族4人で楽しくがやがや看板の前で記念撮影をしていたら、参加していたカップルの女性のひとりが「良かったら撮りますよ」と申し出てくれた。意地悪いとか親切とか、そういうことではなくって、もうみんな本当にできれば嫌な思いをしたり、相手に引かれたりしたくないから、自分からはアクションしないと決めているという人が多いということなんだと思う。

 

普通の、見えている都会の暮らしでは、皆が誰にも頼らず一人でやっていくことができると思っているから、関わらないよう、関わらないようにする。弱くて人の助けを借りなければやっていかれない状況では、人はぐっとお腹に力を入れて人と関わろうとするし、感じよくあろうとする。

災害の時などの非常時などでも、そういうことなんだろうと思う。災害時の連帯感は、平常時に戻ると消えてなくなってしまう。

 

これだけ便利な世の中だから、誰もが「一人で生きている」と思えてしまう。一人で生きられると思うことは、世の中にさびしさを増やしているのだなあと思う。

 

子どもたちは、「また行きたい!また行きたい!」とノリノリだった。ナビゲーターの視覚障害の方のスムースさには到底及ばないけれど、子どもは運動能力も高く、感覚もビビッドだから適応力も高くて、大人よりずっと見えない世界で触覚や味覚や嗅覚を使って積極的に楽しんでいたし、暗闇ではみんなが平等に寄る辺ないので、子どもと見くびられることなく、しっかりとみんなが話を聞いてくれる、そのフラットさを感じていたのだと思う。

 

帰りは、青山の高級ハンバーガーレストランへ。家族4人で7000円なり!青山価格恐るべしだ。