続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「光」

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今月は全然映画見れてない!ぎー!と思い立って、

昨日は夕方から河瀬直美の「光」を見に行ってきた。

ああ見られて良かったなあ。素晴らしかった。これまでの彼女の作品の中で間違いなく一番好きだ。

 

いつもながら、本当に映像がいい。湿り気のある日本独特の自然の空気感。湿気や風や匂いが触れられそうに思う。ただきれいで心洗われるというようなことでは甘いことではなくって、凶暴さをはらんだ暗さを内包した、生々しい自然。その無心さ、作為のない迫力。

 

そういう河瀬映画独特の感覚は、やはり河瀬監督自身の感性と深く絡み合っていると思う。彼女の持つ、女性らしい残酷さ、直感の生き物としての女の強さ、正しさや理性はどこか二の次という感覚があり、そのありようは時に傲慢なんだけれど、どこまでも正直で嘘がない強さが伴うので、誰も抗えない。

 

脚本が素晴らしかった。最小限の説明と台詞。役者の顔をクローズアップを多用して、じっくりと見せて行く。

ほんとうに、お腹の中から出て来た言葉しかそこにはないから、何気ない言葉の重みと納得性がものすごくあるのだ。もうほんとうの言葉しか、発したくないし、聞きたくはないんだと言っている。そんな脚本。

 

ほんとうの言葉に感情を揺さぶられる。その揺さぶられ方が、とても微妙なんだ。

何に自分が泣かされているのか、ちょっと説明が出来ない。訳が分からない。

そういう、心の奥深くに整理されないままに混沌と沈んでいる層が激しく揺さぶられる。分かりやすい映画ばかりの中、そういう上等な映画が見られて、とてもうれしい。

 

目の見えない人と見える人の関わりが描かれる。同時に、若い者と年老いた者、男と女の関わりも描かれる。

そこには、どうあっても超えることのできない分断がある。「分かり合うことは、不可能だ」とこの映画はきっぱりと言っている。

 

主人公の若い女性、美しく健康で、独身で身軽でまっすぐで、そして年相応に視野が狭い。

彼女との関わりの対比のなかで浮き上がるように、さまざまな弱い立場に置かれた人の心が浮き彫りになる。障害や老いといった、いかんともしがたい苦しみを抱えて生きる人のありようを、少しも誇張せず、けれど尊厳のまなざしを持って描いている。

 

弱者であることは、とても不便でみじめで、悲しいこともたくさんある。大事なものを諦めねばならないこともある。

けれど、弱者を見下すのは、お門違いだ。

語らないということが、議論しないということが、彼らが「考えていない」ということにはならないのだ。言葉でなんでもつらつら上手に説明する人の方が、賢いとみんな思ってる。

でもそれば全然、全然ちがう。

 

「可哀想な人」である彼らの、ぎくっとするほど鋭く聡明な視点。分かってもらえないということを前提に、謙虚に対話をする姿勢。相手の無知と傲慢さを静かに受け入れる忍耐。相手を無理にねじまげようとしないあきらめを含んだ寛容の心。

 

「想像力がないのは、どっちなんだろう」という台詞の重み。

 

分かり合えないということをベースに、私たちは生きていくしかないのだし、けれど、地道な努力の先には、必ずしも我を通す者と我慢する者という二者択一ではない、もっと豊かなものが生まれる余地もあるのだということを、この作品は示していると思う。

 

美しさがものごとを善く変えていく、そう信じたい。