続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

そして生活はつづく

今日は、子どもたちオケだから、あとちょっとだけ、のんびり。

 

昨日は、Nさんちでヘナ。

ヘナは、単なる髪染めだけじゃなく、浄化も兼ねているんだよ、ということだけど、ヘナ以上に、Nさんに会って喋って、ケアしてもらい、いっぱい笑うことで、随分と気持ちが洗われたような気持ち。

 

私は、中身「男」だから、Nさんのような、本当に女らしい生き方を全うしている人に会うと、目からウロコがぼろぼろ落ちるほど、自分の勘違いや、思い込みを正してもらえる。

考えが違うこと、自分はそうは思わないということも、ちゃんと言ってくれるその率直さが大好きだ。

 

いつもお昼を一緒に食べようと言われるので、気を遣わせまいと、おにぎり持参かパン買うよーと言うのだけど、いいよいいいよ簡単なものなら作るよ、と結局小料理屋くらいにいろんなものをぱぱっと作ってお盆に乗せてごちそうしてくれる。

私はぎりぎりの時間まで仕事しているもんだから、やっとこおやつの焼き菓子を買っただけ。

 

そのご飯が、しみじみとおいしくって。

柳川飯、具沢山のお味噌汁、かぼちゃのマッシュに海老を和えたものと、野沢菜と茄子の古漬け、白菜と豚肉の煮物、それから庭で今摘んできたばかりのルッコラとサニーレタスとイタリアンパセリのサラダ。バジル入りのオリーブオイルとポン酢をかけていただく。

そういうのがぽんって、気軽に出て来る。一口食べるごとに腹わたに染み込む。いい食べ物を食べた時の、いかにも「滋養」という感覚。

すごい、ほんとおいしい、すごいねえ、と感心しまくっていたら、目を丸くして、「え?全部あったものだよ?残り物だよー」と言う。

 

「ああ、私もちゃんとご飯作ろう。もう本当に作ろう」とつぶやくと、可笑しそうに「それ、前も言ってたよね」と言われる。代わり映えのない私・・・

さらに「私とこうして会えば、数日はやろうってなるからいいんじゃない?」と言われる(涙)。何もかもお見通しだ〜。

 

ほんとに、わたしのだめだめさを許して付き合ってくれている何人かの友だちには、いくら感謝しても足りないくらいだ。

 

彼女はほんとすごくて、ものすごいブラック企業に勤めるだんなさんがいて、でも夫婦仲良く健やかな家族を築いている。同居のお姑さんとも、変な我慢をせず、とてもフレンドリーにやっている。

今の世の中、周囲を見回しても相当な偉業であると思う。本当にすごいなあといつもお手本にさせてもらっている。

 

やはり女の役割ってあるのだよなあ、と思う。男並みに稼いで家計を支えるなんてことより、「俺、大事にしてもらってるなあ」とだんなさんが感じられるようなケアができる、包んでくれる奥さんであるほうが、だんなさんはどれだけ嬉しい事か。

 

でも、誰もほめてくれない地味な日常、三度三度の食事を作り、家をこざっぱりと整え、重たい布団を干し、来る日も来る日もアイロンがけをし、子どもの学校や地域のボランティアをやり、家族皆の話を聴き、そういうことは書くほどには簡単なことじゃない。

 

彼女は、得意なんだよな。苦にならない。食事作りが大変と思ったことがない、と昔言われて、のけぞったもんなー。

私は、ご飯とかわりにどうでもよくなってしまいがち。ずっと作ってばかりいるのは、苦になる。

そういうのはもう、生来のものってところはあるから、開き直るしかないと思うところもあるんだけれど、

今回、悟るみたいにして思ったことを書き留めておく。

 

星野源ブームが続いていて、エッセイ「そして生活はつづく」を読んでいて、すっごくすっごく腑に落ちた文章に出会った。それは、こういうものだ。

 

「人は生まれてから死ぬまでずっと生活の中にいる。どんな華やかなスターだって、どんな暗い世界に生きる犯罪者だって、生活から逃れることはできない。顔をあらったり、うんちのついた便器を磨いたり、食べ残しを片付けたり、電気代を払ったり。

でも、私は生活というものがすごく苦手だ。劣等感のかたまりのような自分から逃げるために、芸術に夢中になった。現実を感じぬよう、自分で自分を忙しくした。けれど、どれだけ大勢の人の拍手喝采を浴びても、帰宅してひとりになると、小学生の頃に感じたとてつもない虚無感が変わらず広がっていた。華やかな達成感と生活に戻った直後に感じる虚無感との差は日に日に広がっていった」

 

だから、生活から逃げずに面白がろうと思う、と星野源は書いていたけれど、

私は星野源のこの文章に加え、Nさんの生きざまを見て、

 

もうきっぱりと

「優先順位は生活が上なんだ」

と、思った。もう、生活の方がだいじと思って、日々を過ごしていこうと。

 

何をもったいぶって書いてんだか、と思われるかもしれないけれど、

自分にとって、この思想は結構なブレイクスルーで、

小型のハンマーでこめかみを叩かれたみたいな衝撃があったんだ。

自分はこの日本で、この資本主義の社会で、何だか勘違いをして生きてきてしまったということを、あらためて身に沁みて思った。

 

この文章、星野源がもがき苦しみつつ書いたからこそ値打ちある。

生活が大事ってことは、例えば松浦弥太郎だって言う。

けど、そんな立派でできてる人に言われても、謝るしかできんちゅーか。

「丁寧な暮らしオブセッション」の轍にはまるちゅーか(by ジェーン・スー)、

 

生活を大事にせんことには、幸せはないとゆーことを、この年になって、ようやくしみじみ観念したでござるよ。うむ。