続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

遅れて来た星野源ファン

なかなか自分の仕事をすることが叶わぬまま、時間とともにさらに積み上がっていく。どことなく上の空で、だんなさんともぎくしゃく。話を聴いてあげられていないのだな、とはたと気付くものの、方向修正も上手くはゆかず、気が塞ぐ。

 

ああ、今日もあちこち、人の都合で引っ張り回されて、不毛な一日だったなあ。

明日こそまとまった時間ぐっと集中して書いて、夕方からはちょっとは身軽な気持ちでヨガへ行きたい。

 

あまりに自分の時間のない週末だったゆえ、ひととき、独りに返る時間。真夜中のBGMは星野源「Yellow Dancer」。

ちょっと前までろくに知らなかった。世の中であんなに一世を風靡した「逃げ恥」も,人に勧められて一度見てみたけれど、まったくぴんと来ず、恋ダンスはかわいくていいなーと思ったものの、深追いはせず。

 

しばらく前に、仕事で星野源のことを書く機会があり、いろいろ調べているうちに、彼の書いた文章を読む機会があって、彼が雑誌に連載していた映画コラムをいくつか読んだら、実にすばらしかった。

「プレシャス」の映画評で、吹き出すみたいに泣いてしまって、びっくりした。

それで他の本もぐんぐんと読み、試しにYouTubeで音楽も聴いてみたら、これまた良くて驚く。音楽性は違うけれど、小沢健二のようだと感じる。その根本思想が文章とも通底している。映像関連は手をつけていないんだけど、そのうち見ちゃうのかな。

 

しかしなんといっても文章ががいい。ベストセラーの「いのちの車窓から」は、移動中の電車の中で読んでいたのだけど、やっぱり何度も涙がじーんと湧いてくる。

泣かそうとしている文ではないのに、その思慮深さ、愛情の深さになんだか読んでいる自分が救われたような気持ちになる。

 

すごいなあ、えらいなあという人の文章でも、「なんかすいません」とか、どこか責められているような読後感を持つ人もある。乱暴でぷんすか怒っているような文章でも、見捨てないあったかさを感じることもあるし、表面上の言葉は寛容なようでも、すごく狭量さを感じる文章もある。

 

文章は、ひとつひとつはある意味をもった単語の集積なのだけど、その無限の組み合わせ如何によって、ある景色が浮かび上がってくる。

よく難しい本、平易な本という言い方をするけれど、私の場合、なんの景色も見えない文章が難しいというか、読むのが苦痛に思うのだろうな、と思う。

むずかしい本は、絵本でもむずかしい。

そういう意味では、文章は音楽に似ている。まずはパーツでなく、感覚まるごとで飲み込むみたいにして読んでしまう。

 

その、感覚の根っこにあるのが、書くの人の景色を浮かび上がらせるのが、その人の根本思想なのであり、ここはどう繕っても隠しおおせるものではなく、どうしたって滲み出る。

 

なんだろうなあ、この心が洗われるような清潔さは。多様性に対する祝福の感覚は。わくわくを伴った、あらゆるものへのフラットな視線と、礼儀正しいリスペクトの感覚は。

 

エゴじゃなく、読む人のことを思い、すごくサービスして書いている。何かにおもねているということではなく、一所懸命思いを伝えようと、さぼらず考え抜いた表現をしている。ちょっと見には簡単にさらさら書いている文章と変わらないように思えても、すごく心が行き届いていて、適当がない。じんじんと伝わるものがある。

 

久々に新しい誰かのファンになった。地平の果てまでながーーーく続いている「星野源好き」行列の最末尾に、照れつつこそっと並んだような気持ち。

 

星野源の文章や音楽には、苦しみや暗さの湖の中から生まれた、ぎゅっと濃縮したような、ちょっと意固地で、熱を持った、でも振り切るような、独特の明るさがある。

ちょっとカットがいびつでにごりもあるけれど、この上なく温かみある、特別な自分のための宝石みたいだ。

 

こういう、本当の意味で育ちの良い、「どこに出してもだいじょうぶな男の子」をまたひとり知ることができて、嬉しいなあ。

また明日もがんばっていかなあかんな、と思います。

それではおやすみなさい。

 

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