続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

踊らされぬよう

昨日、おとといと怒濤のスケジュールであった。

おとといは先方の都合で、1日に2件インタビュー。昨日は大会の間をぬって某マイナースポーツの、けれど日本ランキング1位の選手にインタビューするという形のアポだったので、断続的な待ち時間の長いこと。結局インタビューはやりきれないまま、後は電話で補足するかたちにさせてもらった。

昨日の帰りの東海道線では、もうへろへろ。

それでも人と会うのは面白いことばっかりだ。

夕飯は息子がべしゃべしゃの肉ジャガを作ってくれた。

 

金曜日の職業インタビューは、出版業界と映画業界の人。誰でも知っている、はなやかな大企業。

どちらも超ブラックで、出版の方は朝遅めだったが、帰宅は早くて終電、大抵タクシーで帰るので、近くに越しました、とのこと。映画の方はもっとひどくて、朝は6時前から、終わりはテッペン過ぎてもってことがしょっちゅう。あーあまたかー、というかんじだ。仕事の面白い、いい面もそりゃああるんだけど、それがモチベーションでみな頑張ってるんだけど、それにしても、安月給で人間の限界まで酷使され過ぎでは?と思う。

 

電通の不幸な事件があって、今は残業問題がホットなので「ほんとのこと書いてもらったら困るんで、ぼやかしてくださいね」というようなことは、本当にしょっちゅう言われる。

帰って、いろいろ聞いた「ほんとうの話」を酒のつまみにだんなさんに話すと、しみじみ「日本てすごい国だなあ」と感心していた。

 

インタビューが終わって夕暮れの銀座を歩いていると、就活スーツの大学生のグループとすれ違う。皆、実に同じような格好をしている。多くの中から、他の誰でもない自分を売り込みに行くのに、この没個性、クローン人間のごとし無個性は、あまりに矛盾してないかい?と素朴に思う。

 

私の会った人の勤める出版や映画の業界って、花形というか、憧れる学生がとても多い分野。名のある大企業の場合、就活で正攻法で新卒採用を受けても、1000人受けて3人採用とかの世界だ。

はっきり言おう!そういうアクセスの仕方は、根本的に誤っている。専門職に関してはこの限りではないですが。

仕事の得かたとして、それはあまりにもナンセンスなものだ。純粋な消耗だ。

 

大企業の就職試験の内容は、能力を見出すためのものでなくて、落とす口実のため、という意味合いのほうがずっと大きい。

なんで歴史から時事問題から流行や文化やら、数学やら理科やら、そんなあんまり業務に関係のないようなことまで試験にする必要があるのか?そんなパーフェクトヒューマンが必要か?

そしてその後、5次や6次まで面接があったりするのだ。

 

そういう「落とす前提」な就活の状況の中で、「自分はだめだ」「自分は必要とされていない人間なんだ」と自信をなくしてしまうようなこと、逆に「こんな自分を採用してくれたんだから、他はないんだから、多少無茶でも我慢しよう」とか「せっかくこんな大企業に入ったのだから」といった思い込みは、その人にとって、何ひとつプラスにはならない、と思う。

 

実際の社会においては、日本企業の多くは「人を育てる」というマインドをほぼ失ってしまっている。手のかかる甘えた新人はお荷物だから、スキルを身につけた人を中途で引っ張って来る。自分が取材する大企業の人、華やかな業界の人も、みなそうやってまず業界のすみっこに「うまいこと入り込んで」「スキルを積んで」「それを持ってもっといいとこに入り込む」という形で今に至っている、という人が多い。新卒の人って、案外辞めちゃったりしてる人も多いのじゃないのかなーと思う。

 

お金には稼ぎ方があるように、仕事にも仕事の得かたというものがあるのだよな、といろいろな人に会っててつくづく思う。

 

ベタな就活は、就活支援企業の作ったプラットフォームで踊らされているだけ。ほんとに。ああいう一大就活ムーブメントの周辺ビジネスで、どんだけ人材派遣系の企業が儲けてるかと思う。

 

この仕事をしていて、世の中の「マッチング」がどうしてこうもうまく行かないかな、と素朴に疑問を持っていたけれど、リクルート的には、実はそもそもそんなこと、どうでもいいことなのだと端々からようく分かる。

儲かるプラットフォームを、より強固なものにしていくこと。その中で踊らされる人が増えることを企業は望んでいるし、自分の頭で考えて、知恵を絞って自由で多様な進路を見出して行きたいというような人は、どこまでもマイノリティーであってほしいのだ。

 

世の中には実にいろんな仕事があって、若い人を求めている仕事があって、そして仕事は地方にもいーーーっぱいあるのだ。何なら自分で仕事を作ることだってできるのだ。都会で、会社に雇われて働くということに、あまりにも偏っていませんか?

 

就活を後押しする企業は、表面的には「あなたの勝利と幸せのために」という顔をしているし、実際その企業の人たちも、意識としてはそういう思いを持ってやっている、というところが実にたちが悪い。自己欺瞞に気がついてないみたいな、いやな無自覚さがある。

やっぱり企業というのは、どうあっても利益を追求するシステムで、皆、呼吸をするみたいに自然に儲かることを選択するのだ。自分でも気がつかないくらいに、自然に。あるいは心のどこかで気がついてるんだけど見ないようにして。

と、いう現実をシビアに見つめないことには、はじまらない。

 

外部からクールに見ていると、すごく変で、必然性のないことや、実際的でないことをなぜか正さないということにぶつかる。その時に、霧を晴らすみたいに、ものごとの実際を明らかにするのは「それが儲かるかどうかで選ばれているか」ということを見抜く視点だ。

 

学生はいろんな情報をただで与えてくれるように思ってありがたく思っているかもしれない、もちろん有用な情報もある。けれど、同時に視野を狭めるいろんな刷り込みをされていることを、頭の片隅に留めておくべきだと思う。

 

これ、受験システムも一緒ですよね。適齢期になれば「ゼクシィ」とかいう雑誌があるけど、ああいうのも結婚までのレールを敷いた一大プラットフォームの商売だし、結婚して子どもが生まれたら、また「たまひよ」やら「赤ちゃんホンポ」やらでレールを敷いて、やがて子どもは「お受験」へ。そして同じサイクルは続いていく・・・・おおこわ。

 

上手に利用するのはいいけれど、素直に踊らされてはいけないよ、と思う。

 

私が、若いうちに長い旅をすることが、どうしてかくも大事かと思うかというと、自分のいる場所の「枠」のからくりに、あほでも気がつくことができる、視野の広さを獲得できるからに他ならない。

 

いろいろな仕事をしている人にあって、労働条件が悪いことが一概に悪いとは思わない。単純に時間とお金ではかれないことは、世の中にはいっぱいあるもの。

でも、ちゃんと自分で自分の人生を選んでいるという感覚薄く、「こういうもんなんだ」と思ってやり過ごすみたいにして受け身で生きるのは、良くないなと思う。

 

システムというものは、現代でもっともおそろしいもののひとつだ。

すべてのシステムが悪ではないけれど、システムには心がない。システムを介在させることで、人と人が心のない関わりをすることにもなる。

心がないのに、ひとつの志向に向かって、あたかも有機的に増殖していき、個人にはコントロールができなくなってしまう。誰が求めているかも分からないところへ、時にシステムは極まっていく。

 

あーやば、こんな時間、働こ!